麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

またしても人類の未来の話

基本的に人類は滅亡する方が良い……が

そもそも私は無知であるという

 前回の続き。

 前々回から続いているのだけれど。大体まとめると。

 

 この世は苦しいから人類を滅亡させたい。物理的に殲滅みたいなのは無理な以上、子供を持たず数を減らして滅びるように仕向けるのが方法である。

 が、人類を滅ぼす方法を広めても広まるとは思えない。また、何故自分が苦しんでまで、人類を苦しみから救うために滅ぼす活動なんてしないとならないのか?

 

 だが、一方でこんな苦しみにあふれた世界に産まれてくる子供はかわいそうで。

 どんなに足搔いても、人類の誰もが悲劇に見舞われないなんてことがない以上、子孫を残すのを繰り返せば、どんなに幸せに溢れた世界を作ろうとしても中には犠牲になる人も出てきてしまう。

 また、最終的に誰も苦しまない世界を作れたとしても、そこに至るまでを長引かせれば、長引かせただけ苦しみだけの人生を送る人が増えてしまう。

 

 というような話でした。

 で、昨日〈あわしまマリンパーク〉に行って考えたことをいくつかと。

 その後、ネットで調べて書いたことをいくつか。

 

 まず、そもそもだれもが犠牲にならない世界など存在しないという話。

 水族館で魚を見て、以前も書いた話ですが「多く卵を産む生物は、ほぼすべてが成体になる前に死ぬのが普通。つまり、自然では最初から一部の存在のために、多数の者が結果的には犠牲になるのが当たり前」と思い出し。

 

 つまり「この世界は苦しみと幸せがある世界ですが、一部の人が絶望的な苦しみを味わうのは、多数の人の幸福のためには仕方がない」と割り切るというのが正しい。

 という風に考えましたが……どう考えてもそれを〈受け入れる〉精神が僕にはないという事に気がつくまでもなく、思いました。

 

 ええと、もちろん。

 現実はそうなんだから受け入れるべきだ。みんなそうしているのだ。

 という意見ももっともですが。僕にはできない。つまり現実はそうだとするならば、世界の事は諦めるけれども、僕が苦しむことには変わりがない*1

 という話です。

 

 次に〈あわしまマリンパーク〉がアニメや宣伝用の萌えキャラを推していたこともあって。

そもそもフィクションが現実のためにあるのではなく、人間はフィクションを生み出す装置にすぎない」と割り切って人生を生きるとも考えました。

 

 これに関しては、そういう価値観を持ってしまえば、確かに僕は楽だし。

 文化伝統、芸術や学問を守るというのも「人類のため」ではなく「人類がむしろ文化伝統、芸術や学問のためにある」としたら私だけなら納得はできますが。

 これに他者、特に産まれてもない人を巻き込むのは〈勝手な信仰に子供を巻き込む親〉と全く同じですよね。

 

 もちろん、僕自身が「僕の使命は作品を生み出すこと。人間社会にかかわるべきではない」とするのはありですが。

 それでも、この先に産まれる苦しむ人を放っておくのかというのもあります。

 これに関しては前回話した「世界など知らん。俺の幸福が大事だ」とほとんど同じなのですが……単に〈幸福〉ではなく、何かの〈使命〉を与えたところが違う感じです。

 

 で、ここからはネットで調べた感じなのですが。

 結構〈子供を産む事は罪〉という価値観はそれなりに出ていて、数年前には一部の人で話題にもなっていた……らしいです。

 

 一番検索して挙がったのはこちらのですが。

 子供を作るのは鬼畜の所業。それか馬鹿。

 

 他にもいくつかあり、どれも大体共感ができました。

 もちろん、反論も多く、おそらくコメントしないだけで、多くの人が実際には子供を持って親になっている以上、むしろ反論の方が多いと思うのですが。

 

 私の場合、実際にどうだったかはともかく、少なくとも「望んで子供を持った親が、自ら死を選んだ」と僕が思って生きてきているので。

「自らが死を望む世界に、子供を産むとは何事か」と思って生きている*2もあり。

 なんでこんな残酷な世界に、苦しむとわかっていて子供を持つのか? は謎です。

 

 が、30歳になると周りには実際に子供を持つ同世代の知り合いも出てくる。

 また、地域や国の未来を政治や経済の問題や、文化や伝統の保存などで考えるとほぼ確実に〈少子化〉とか〈後継者〉とかそういう問題が出てくる。

 さらに〈結婚〉や〈子供を持つこと〉を〈おめでたい事〉として祝わなければならない風潮がある*3

 

 この状態でみんなは生まれた価値がある。自分にはないどころか悪である」として世間の価値観に従い続けるか「お前ら親は残酷な奴らだ」と主張して非難されるか。

 という間に挟まれて苦しんでいるというのが現状だったりします。

 

 で、先の子供を持つのは鬼畜などの批判のうち気になったのは「子供が不幸になる可能性しか見ていないが、幸福になるかもしれない」という事で問題ないとする意見で。

 僕の価値観だと、そもそも生まれたことが罪と思って生きているので〈この世は不幸のみで、幸福は一時の気休め〉と思っているからまずかみ合わないのですが。

 それを無しと考えて「確かにこの世には幸福な人もいる」としても。

 

 今度は先に言った「いつかは必ず不幸な人が出てくる」というのがあり。

 自分の子供が幸せだから良いとしても、その子、さらにその子と続けて、いずれ出る絶望的なまでに不幸な子孫についてはどうするのか? という問題が残っています。

 もちろん、先に言ったように「この世には不幸な人が出てしまうのは仕方がないのだ」と割り切る事も正しく、実際自然には適っているのですが。

 果たして、子供を持つ人がそこまで考えて子供を作っているのかが気になっています。

 

 後、個人的に最悪な意見は「少子化をどうする」「老後はどうする」系の意見で。

 私の高校時代の同級生にも子供を持たないと寂しい」という意見の人がいましたが。

 それはつまり子供は自分たちの労働力や、気休めのための道具だといっているようなもので。それを根拠にだから子孫を残すべきだとなるのはおかしいという事です。

 

 特に自分の場合は先の母親がその「寂しいから」みたいな感情的な理由で子供を持ったりした挙句、家事や育児のストレスで病気になっている(と、聞いている)ので。

 こういう自分勝手な理由で子供を持つ奴が親になることは絶対に阻止したい。

 この点だけについてははっきりとそう思っています。

 

 子供はお前たちのペットでも、道具や家畜、あるいは奴隷でもないと。

 

 で、この点に関して。先の「幸福と不幸がある」系の意見と合わせると。

 不幸に関しては「高齢化社会を少ない若者で支えないといけない」というのが見えているのに、幸福について特に何もない。

 強いて言えば受験や就活のライバルは減るかもしれませんが、受験に関しては受験できる学校や、その学校の定員自体が減る可能性があり、仕事は就職できても人手不足のため過剰労働になる

 

 果たしてこれのどこに幸福になるかもしれないなどという価値観が持てるのか。

 これは「たとえ99%が不幸になっても、自分の子供は1%になるから大丈夫というのを根拠なく言っている状態」と何が違うのか。

 というのもあります。

「私は本気で子の幸せを……」などと言っても、他の親も本気で幸せを願うはずなので(そうでない親もいますが)結果としては本気同士がぶつかり合うだけです。

 

 ただ、僕は「子供を作ることは罪であるというのは違うとも思いまして。

 これは〈罪〉というのはあくまで〈結果〉に対してのものだからだという事で、前向きな意見ではないのですが*4

 

 例えば、ビルの上からハンマーを落としたとして。何にも当たらなければ、そして誰にも見つからなければ罪にはなりませんが。

 人にぶつかってその人が死んだりしたら罪になる。

 だから作った(あるいは産んだ)段階では罪ではないが、その結果不幸を引き起こしたら罪になる……というだけの発想です。

 

 ただ、この発想はあくまで「親子程度に適応される価値観で。

 また繰り返しになりますが「いずれ出てくる不幸な子孫」まで考慮した発想ではないです。

 強いて言うなら子供を作るのが罪であるとは限らない。だが人類を存続させるのは罪の可能性が高いという感じです。

 

 後、これに関して問題は。

 こういう意見を広めて、少子化がさらに進む……のは、僕としてはむしろ望むところですが。

 結果として「この程度の意見を考慮した上で、これ以上の価値観によって子供を持つ親」と「この程度の事すらも考えない親」の二極化し。

 後者の親を持った子供は悲惨だ。という問題もあったりします。

 

 さて。ここまで言っておきながら。

 自分の意見って、厳密には「人類は滅ぼすべきであり、子供は持たないべきである……と思う」のレベルで、断言はしていないんですよね。

 これは僕自身がまだまだ未熟で無知であり、知らないことが多いので、どこかに「明確に子孫を残すべきだという理由」があるかもしれないからなのですが。

 

 ただ、この先も僕の価値観が変わらなければ自分の意志で子供を作ることはないかと思います。

 誤解されそうなので一応書いておくと、強引に作らされてしまう可能性と、逆に血の繋がっていない子供でも意志によって作れることからの意見なので。

 望まないでうっかりできちゃったみたいな無責任をする可能性を言っているのではないです*5

 まあ、強いて言えば「植物や微生物を生きていくために増やす」という意味では子供(新しい命)を作るかもしれませんが。少なくとも、自分の存在を悩める程度の知能を持った存在は人工知能なども含めて作らないと思います。

 

 ただ、逆に。既にいる子供をその子供の意志、あるいは緊急事態などのどうしようもない理由で〈育ての親〉として親になることはありです。

 それは作った訳ではないので。

 

 ……と、まあ。今のところはこんな感じですかね……。

 

 ちなみに最近は仮面ライダーアマゾンズ』DIE SET DOWN」を頻繁に聴いています。

 まだシーズン2は見ていないので、この曲がエンディングに使われているのは見ていないのですが。正直、歌詞が共感できるので。

 生まれたことが罪で、生きるのが罰。この世は無常で護りきれないものばかり……まったくもって、ごく普通の世界の事だと思います。

 

 しかし、親になる程度の年齢までに、人生の意味とか、人類が存続する価値を理解できる大人……いるのでしょうか?

 僕は、正直幼いときは「大人になればわかるから、みんな子供を持っているのだ」とも思っていましたが……この歳になってもさっぱりわかりません。

*1:「ならば今すぐ困っている人を助けに行け」とでも言われそうですが、結局僕は自分勝手なので、すべてを投げ出して困っている人のために努力することができないという……。ただ、既にいる苦しんでいる人も課題ではありますが、今回の場合〈新たに苦しむ人を生み出す〉という話なので

*2:正直、子供を作っておきながら自殺する親よりは、家族を捨てて行方をくらませる親の方が恨めるだけマシだと思っています。最も、実際にされていたら「あんな親、死んだ方がマシ」と言っていたでしょうが

*3:自分の場合、11歳の誕生日の翌日が母の命日なのでより一層「なぜ生まれたのがめでたいのか?」と思って生きてきています

*4:もちろん法的な意味での罪ではなく、倫理やら道徳のような方での罪です。念のため

*5:そもそもこんな異常で狂気的な価値観を持った男に、そんな行為ができる相手などいません

〈みんなの事を考える悪〉と〈自分勝手な正義〉

果たしてどちらが正しいか

〈正義〉に縛られて〈自由〉を失う

 前回の続き。

 

 とりあえず前回というのは人類をこれ以上苦しまないために滅ぼしたい」という価値観を持っていて、しかし一方で「他人の苦しみなど興味を持たず、自分勝手に生きたい」とも願っているという話でした。

 

 で、これについて。今日もまた考えていた。

 というより、ついに精神的に参ってしまい*1、引きこもりや精神問題を抱えた人が通えるカウンセリングなどを行う団体に行って相談してきたのですが。

 その際に、今までの自分の人生と、現在の価値観を話したため、その帰りにまた悩んでいた。

 

 のですが、実のところ後者の「自分勝手な生き方」の方が、他人から見たら正義とはいえないまでも正義寄りになる可能性が高いと気が付いたのでした。

 

 自分の価値観のうち前者である「人類を滅ぼす」について。

 僕自身がヒトである以上*2同類の滅亡を望むことは辛いことですし。

 また、大抵のフィクションにおいては「人類の救済や世界平和のために、人類を滅ぼす」というのは悪役側の価値観で、それを見て育っている自分は「自らの行為は悪である」と感じたままその行いを進めないとならないという点でも辛いのですが。

 

 それでも、自分を犠牲にして人類を救うために、人類を滅ぼす。

 しかもそれは世間一般から見たら〈である。という事になる。

 

 が、一方。僕が「人類の未来など知ったことか」として生きても。

 少なくとも文化や芸術、自然については、僕が生きている限りは存在して欲しいので保護活動には参加する。

 また、僕自身が被害に遭わないために防災や防犯といった活動も行う。

 さらに目の前で苦しんでいる人を見捨てるのは僕自身が不快なために助けに向かうとなると。

 

 動機は完全に自分勝手で自己満足、自己中心的ですが、自分の好きなことしかしていないので、行動自体がストレスになることは少なく*3

 世間的には「人類を滅ぼすといっている人」よりむしろ〈善良な人間になるという事です。

 

 で、さらに問題なのは。

 仮に人類を滅ぼすといっても、フィクションではあるまいし、世界中を滅ぼせる兵器を手に入れたり、呪いなどの非科学的な方法で滅ぼせる訳もなく。

 できることと言えば。

 

「人類の文化、芸術、学問の保護発展、あるいは自然保護、政治や思想などについて真剣に考えること、また子供を持つこと、教育することは人類を栄えさせる悪であるから止める事」

 

 と主張することぐらいだと思うのですが。

 これを主張すると、この意見が反面教師となり「こういう活動に参加しなければ人類は滅んでしまう」と意識されることになる。

 下手をすると、元の主張が〈人類滅亡〉と過激なため、普通に〈人類の未来のために〉と主張する以上に広まってしまう。

 

 また、仮に人類を滅ぼすような思想を広めたり、煽ったりしても、それが危険思想や過激思想ならば当然反対派が多数沸いて、潰されてしまう。

 と、なると「人類が栄えるために有用と思われ、それが多数に指示されるが、実際には危険な思想を世界規模で広める」ということになり。

 

 しかし、世界規模で広めるという事は、世界レベルで優秀な人間が目にしても問題点に気が付かないような高度な思想を作り出す必要性があり。そんなことが私のような凡人にできる気がしない。

 というのもあります。

 

 と、こんな感じで。

 人類滅亡の計画は、二つの意味で問題を抱えているとなったというのがあります。

 

 ただ、心残りなのは僕には「まだ産まれてもいない、名前も顔も知らない者が、このような悲惨な世界に産まれて苦しんでも関係ない」と言い切ることができないことです。

 

 普通の人間なら「良い世界にすればよい」とでもいうのでしょうが。

 僕にとって、この世界は悲惨な世界であることが当然で、それ以外の世界など知らないのでどうしようもない。

 

 さらに言えば、人類が存続すれば子孫には必ず、事故や災害のような、人間にはどうしようもない不幸に見舞われたり。

 そしてどんなに足搔いても〈人類最後の人〉になってしまう人、あるいは人々が現れてしまうという事です。

 

 この人類最後の人〉については、実は中学時代から悩んでいて。

 その際は授業の内容の関係もあって、国語の教師に「人類は滅び、宇宙さえ終焉を迎えるのに生きていて何か意味があるのですか?」と訊ねた記憶があったりします。

 まあこの教師の回答は「それは考えてはいけない疑問だ」というもので、何の解決にもなっていないから、現在もこうなっているのですが。

 

 ともかく、こんな感じで。今後どうなるか……気になることです。

 

 最後に。自分の制作していたローカルヒーローなのですが。

 

 実は主人公の設定が「過去に旅先で、喧嘩に巻き込まれた友人を助ける事ができずに亡くしてしまい、自己価値が低く〈みんなの正義のため〉なら命すら投げ出しかねないとなっていて。

 一方ライバル的なヒーローの一人には「世界を守るためという理由で、周囲に〈正義の味方〉であることを押し付けられ、家族を人質に取られているというものもいたりしました。

 

 結果、自分は作品において。

〈正義〉に縛られ〈自由〉を失った登場人物を中心として描いているのですが……。

 これが自分の悩みと非常に近い気がするのが、興味深いところです。

 

f:id:mugiryu:20170920224338j:plainちなみに、カウンセリングの相談の後に付近の喫茶店で描いていました。 

*1:カウンセリングできる団体や、精神疾患を扱う団体はいくつか行っているのですが、場所が遠かったり、相性が悪かったりと定着せず、ようやく精神問題を扱う地元の団体を見つけたという状態です

*2:人類を滅ぼす以上〈人間〉あるいは〈人〉を名乗るのはおこがましいと思い、ホモ・サピエンスという意味でカタカナで表記しています

*3:もちろん行動の障害がストレスにはなるかと思いますが、それは人類を滅ぼそうとしても同じ事だと思います。むしろ、滅ぼす方が障害が大きいと思われるので、より一層ストレスは高いかと

人類の穏やかな滅亡を願って

憎悪と憤怒と嫉妬

あるいは愛と正義と平和

 どうも8月頃から……と思っていましたが、4月15日の記事大体似たようなことが書いてあったから、最近の思いつきでそう言っているだけではないようなのですが。

 最近、また人類を滅ぼしたいと願うようになってきています。

 

 理由は簡単で、人生には苦しみの方が多く、そんな世界に生まれてくることは不幸以外の何物でもないので、これ以上そういった不幸な人が誕生しないために滅ぼしたいというのがひとつ。

 あるいは世界平和を実現するためには、人類の存在が邪魔だから滅ぼしたいというのがもう一つです。

 

 前者に関して。

「楽しい事もある」という意見もありますが。

 それは奴隷に対して、一時的に娯楽を与えているから問題ない」というような価値観で、人生全体が苦しみに満ち溢れている事には変わらないと思っており。

 また「幸せの方が人生に多い人もいる」となれば。

「一部の人が苦しんでいても自分たちが幸せならば良いとなれば奴隷を利用して一部の人だけが幸せになっても良い」と言っているのと同じことだと思っています。

 

 あるいは「苦しみの中で生きる価値がある」などという人もいるでしょうが。

 その人がそういう思想で生きるのは勝手ですが、例えば子供を持つなどをして、その価値観の世界に強制参加させる事は間違っていると私は思っています。

 

 また後者に関して。

 どうも調べてみると、この手の意見は〈フィクションの中の設定〉か。

 あるいは「世界平和のためには人類を滅ぼすぐらいしかないから、諦めよう」という価値観で。

 人類の存続よりも世界平和の方が価値があるという人がほとんど見当たらなかったりしていました。

 

 で、自分が今後していきたいことは。今のところ。

人類がこれ以上苦しまないために、人類滅亡を願う」か「自分勝手に生きて〈他者の幸福〉とか〈人類の未来〉のような事には関わらない

 というどちらかになるかと思っています。

 

 正直、自分が幸せになることを放棄した状態で、他人の幸せのために行動しても、実際に幸せになった人を見て憎悪や嫉妬が沸いてくるだけで満たされず。

 また人類が滅んだ方が良いという価値観の状態で、まだ生まれてもないような未来の子孫の事を考えて行動するのも辛くなるだけでこちらも満たされません。

 

 自分勝手で自己中心的で自己満足な生き方と非難されようとも。

 社会が幸福〉や〈未来〉になんの魅力も感じないような状態の人間を生み出し、放置していることが悪いとさえ思っています。

 社会のせいにすることが問題だとしても、問題があって何が悪いとさえ思えます。

 

 で、何故急にこんなことをまた書いたかと言えば。

 この日、イベントの顔合わせに参加していたのですが。それなりに幸せそうな人たちを見てまた、自分には一生手に入らないという感情が沸いてきていて。

 これについては8月24日の記事に書いていますが。

 結果として、そのイベントへの参加を見送ることにしたというのがあります。

 

 正直、今後例えば美術のグループ展、同人イベント、あるいは今までやっていたローカルヒーロー関連の集まりなどをどうしていくか

 全てをやめて、人類の穏やかな滅亡のためを願い続けるためだけに活動するよう、変更した方が良いのではないか?

 

 今はそう思っています。

 

 さて、そんなわけで。今回のイラストです。

f:id:mugiryu:20170919130736j:plain

 今回のテーマは「愛は呪い(のろい)」です。

 最初にハートマークをひたすら描いて、その中を呪いを込めて模様で埋め尽くしました

 

 普段模様を描いている際は、特に何も考えておらず。

 テーマとしては「そもそも〈意味〉や〈目的〉が必要なのか?」ということ自体をテーマにしているのですが。

 今回は、愛というのは時に自他共に絶望させる危険な感情であるというのを表現しようと思い、描いていました

 

 まあ、表現が上手くいったかは知りませんが。

 愛は力ですが、力とは持つ者や向けられた者を時に破滅させるのだというのは覚悟した方が良いというのが伝わればと思っています。

また体調を崩す……

久しぶりに肩の方を……

ちょっとの間、絵を描くのは控える

f:id:mugiryu:20170917214326j:plainとりあえず3枚できました。

 

 ええと、またが痛くなりました

 ここに載せているような絵を描いていたのですが、あまりに細かいため集中力を結構使い、しかも姿勢も悪くなりがちで。

 

 しかも、絵だけを集中して描いていたのでちょっと無理が来た……という感じです。 なので、ちょっとの間、絵を描くのはやめるあるいは1日に1~2時間程度までにしようと思っています。

 

 まあ、だからと言ってブログや小説ばかり書いていてもそれはそれでまた肩が凝るのですが……一番いいのは運動をすることですかねぇ?

 

 できれば、以前故障してしまった音楽プレーヤーの代わりを早めに購入して、ランニングを再開したいと思っています。

 

f:id:mugiryu:20170917214904j:plainまあ、肩痛くなったのはこれ描いていた時なんですがね……

自分の理想……と〈微妙に〉違う

ワンダーウーマン』を見る

主人公、敵、双方好みとかすってはいるのだが……

  この日はワンダーウーマンを見ていました。

 毎度の映画の感想通り、今回もネタバレがある事。

 またカテゴリーに厳密には違うのですが、自分のブログの性質上、こちらとの比較も興味がある人も多いと思うので〈特撮〉が入っていることは、先に書いておきます。

 

 ネタバレについてはラストの展開もあるので、気を付けてください。

 

 では、まず。

 最初に気になったことから。

 

 まずアメコミにおける神話の扱いがこの映画を見て気になっていまして。

 DCコミックスの場合、ギリシア神話由来のワンダーウーマンが活躍していますが、一方マーベルだとソーなどが北欧神話由来ですが*1

 

 科学などの要素もある世界において、神話(しかも多神教)的世界はどういう扱いになっているのか*2とか。

 実際の神話とアメコミ作品内での設定の共通点や相違点はどうなっているのかとか。

 この辺りは見ていてちょっと気になっていました。

 

 次に、この映画は第一次大戦を舞台にしていて、そこは映画のテーマとも一致していたと思うのですが。

 DCコミックスあるいは現実の歴史を知らないと「結局、この人は何故こんな思想を持っていたのか?」謎のままの人がちょっといた気がしました。特に敵側であるドイツ軍に。

 

 まあ、テーマとして「人間同士の戦争にわかりやすい悪はない」というのがあったと思うので。

 何故かわからないが、戦争を良しとする人たちがいて、おそらく彼らもそういう道に進むまでに何かあったのだろうと匂わせているため、そういう表現だったとも思えるのですが……やはり気になっていたりします。

 

 で、これに関して。

 最近たまたま読んでいた哲学の本で、こちらは第二次大戦の話だったのですが。

「人間というのは戦争のような悪事に加担した者をわかりやすい〈巨悪〉に仕立てたいものだが、実際に戦争に加担していたのは、ただ上の命令に従っていただけの〈陳腐な悪〉だった」という話があり。

 

 最初、ワンダーウーマンであるダイアナが軍神であり悪しき神であるアレスを倒せば世界は平和になるとしていたのは、単に彼女が閉鎖された世界で育ったからというよりは。

 現実的に、戦争やあるいは政治的問題が発生した際に、誰か一人あるいは数人の主犯的存在だけに罪を被せ、他は巻き込まれただけの被害者として扱う風潮はあるので。

 そのことを表現しているのではないか、とも思いました。

 

 後は、ワンダーウーマンのようなヒーローを〈超人兵士〉あるいは〈人型兵器〉として考えた場合の有用性と危険性ですかねぇ。

 作中のワンダーウーマンは善良なので、一人圧倒的に優れた超人兵士がいたら、そちらを敵が注目するので、結果として敵の戦力を削げるという方向で描かれていましたが。

 

 悪人、例えばテロリストのような人が超人兵士になった場合

 別段、強力な武装をする必要もなく、敵の中に入り込み、都市などを壊滅させることができるという……。

 こうなると、仮に世界大戦の際に大量破壊兵器ではなく、超人兵士が主力になった世界だと、軍事はどう変化したのか……というフィクションは見てみたいです。

 まあ、自分は軍事や歴史は疎いので、そもそも想定するためのデータが足りないのですが。

 

 さて、ここからブログのサブタイトルにある理想と微妙に違うという件について。

 僕自身はカッコいい女性戦士は好きで、一方悪の目的が世界のために人類を滅ぼすというのも理解できるのですが。

 どちらも、微妙に好みと違っていて。全く違うなら気にならないのですが、微妙な違いなので逆に気になって面白かったという。

 

 まずワンダーウーマンについて。

 彼女が〈女性だけの島〉で育っているので、あの鎧は仕方がないというのはあるのですが……個人的には胸の形がわかる鎧はあまり〈カッコいい女性ヒーロー〉のデザインとしては好んでいなかったりします。

 ただ、女性だけの世界で男性を意識する必要性がないと、女性の体型が基本になり胸は形のままに覆うのが普通になると思うので、この点はまあ、仕方がないかと思います。

 

 で、彼女については行動の動機が戦いののち「愛による世界平和」になっていることが自分の好みと違う理由です。

 ラストの方で恋人が毒ガスを積んだ飛行機を爆破して死んだ際に、激昂したようになり、敵を倒したこと自体は良かったのですが。

 個人的には「世界の平和など知ったことか、貴様は私を怒らせた」という理由だけで敵を倒すヒーローの方が好みだったりします。

 

 で、一方の悪役であるアレスですが。

 実のところ、人類を滅ぼせば世界は平和になるというのは自分の考えと同じなので、それ自体は悪とはいえ支持したいというのはあるのですが。

 

 所詮は神であり人間ではないので「人間が邪魔」であり「人間がこれ以上苦しまないために、人間を滅ぼそう」ではない点や。

 また、人間と同レベルの思考しかしておらず、人間がここまで栄えるのを止めることもできなかったくせに、人類を滅ぼした罪を背負うという覚悟もないのがアレスを支持できない理由です。

 

 こうなると自分にとっての理想のヒーロー作品は。

己の怒りによって敵を倒す女性ヒーローVS人類愛によって人類を滅ぼす悪

 というものになるのですが。

 

 この辺りから考えると、自分のなりたいと願う理想の人間像自体が「他者のためではなく、あくまで己の欲のためと割り切って行動する人であり。

 一方、今のまま進んだ先にある自分の未来は「たとえ自分を犠牲にしてでも人類滅亡させて救済しよう」になるという……。

 

 と、この辺りに気が付いた点で、この映画の主人公と敵の関係は非常にためになったというのがあります。

 

 今後、できればこういう女性ヒーローが活躍する話を、自分自身も書いてみたいと思っているのですが……どうなるか、ご期待ください。書かないかもしれないけど。

*1:そもそも僕自身アメコミには詳しくないので、それ以外の神話由来の存在もいるかと思っています。軽く調べたところ、アレスに関してはDC、マーベル双方にいると出てきました

*2:この辺、日本のフィクションだと同時にいくつもの神話や宗教の存在がいて、しかも科学もあるみたいな作品も多いのですが、これもそれぞれお互いの関係がどうなっているのかが違うので。調べてみると面白いと思っています

今日の活動報告

今日は疲れていた……

昨日の反動が来た

 今日は朝からイラストを描いていました。

 こちらになります。

 

f:id:mugiryu:20170911191712j:plain左が今日の。右が前回の。

 

 昨日は〈第1回平塚スピリチュアル祭り〉というのに行き、その後〈GALLERY COOCA&CAFE〉というギャラリーでの展示を見て。

 それからさらに平塚市美術館、平塚市博物館、平塚八幡宮に行っていたのですが。

 その際にうっかり昼食を食べ忘れていまして。

 

 その影響か、結構疲労がたまっていて、今日は朝から何か妙な疲れを感じていたというところです。

 

 ただ、それでも7時半には起きて。起きて30分以内にすでに絵を描いていたのですが。

 しかし、この絵は前回載せた9月9日から描いていたのに、完成したのは今日の15時頃という……。

 いや、予定では午前中の8時から12時までの間に完成させるつもりだったので、結構時間がかかったという事です。

 

 また今回描いている途中に。

 あえて余白を残した方が面白いのでは? ともおもったのですが。

 今回は最初からびっしり描く方向でやっていたので、結局埋め尽くしました。

 

 できれば今後、別のパターンとして余白のあるもの

 あるいは色を付けたり、一部のみ別の色で線を描いたりしたものも描いてみたいかと思っています。

平塚にちょっと行ってくる

平塚は……たぶん2回目くらい

いろいろ面白いものがありまして

f:id:mugiryu:20170920215142j:plainこの日に手に入れたもの。自分の作品もありますが。

 

 今日は、昨日Facebookでたまたま知った〈第1回 平塚スピリチュアル祭り〉に向かい。その後、現地でスマホを使って検索して知った〈GALLERY COOCA&CAFE〉に。

 さらにその後平塚市美術館、平塚市博物館、平塚八幡宮に行っていました。

 

 まず最初に向かったのは第1回 平塚スピリチュアル祭り

 ここは占いやらグッズ販売、さらにツボやマッサージなど、様々な方が出展していて、自分は占いとイメージからイラストを描いてもらうなどを体験しました。

 f:id:mugiryu:20170920215123j:plainこんな感じでした。

 

 個人的に、スピリチュアルに関して

 9月7日の記事で神社の建っている場所について書いたように。

 パワースポットなら「地形などによって、風や湿度、日当たりなどが良い場所が心身に影響を与えている可能性」というように論理的に考えていて。

 

 例えば今回くじ引きで当てたようなパワーストーンなら「身に着けた際の肌触りや、目に入る反射光が精神に影響を与える可能性はある」と思っているのですが。

 科学的に〈説明〉はできても〈証明〉ができていない部分の一つが〈スピリチュアル〉だと思っているという感じです。

 

 まあだから、こういうものを購入したりサービスを受ける際は、その物に効果があるかどうかではなく。

 それを手にする、あるいはサービスを楽しむのに妥当な金額かどうかの方を優先して考えていまして。

 そんなに熱心ではない……とも言えないですかね。わざわざ理屈的に考えているあたり。

 

 あとは前に読んだ『「超常現象」を本気で科学する』という本の価値観と同じですが。「あるか、ないか」ではなく「あると想定して行動した場合、役に立つか、立たないかですかねぇ……。

 

 それと。

 僕自身はハーブやアロマ、ヨーガを魔術や錬金術などが出てくるフィクションの影響で始めていて。神社仏閣巡りも似たような感じで。

 占いに関しては、かつて読んだ『物語の体操』という物語の作り方の本の中で「タロット占いの方法で物語が作れる」と出ていたので、それで興味を持ったというのはあります。

 

 実は、個人的にはこういったスピリチュアル的なものを自ら学んで。

 魔術や陰陽道などの出てくる作品に活かしたり、あるいはほかの方がそういう作品を作っている際に相談に乗ったりしてみたいというのもありまして。

 占いをするにしても、実際の人間ではなく、相手が書いている物語中の架空の人物がどう動くかを占ってみたいというのもあります*1

 

 と、こんな感じで。結構楽しんだイベントでした。

  で、この会場を後にして、何か面白いものがないかと、会場から線路を渡ってみたのですが……その結果。

 そういえば平塚にはかつて一度来たことがあると思い出しました。

 

 というのも、かつて一度来た際には「平塚に行く」のが目的だったのではなく、東海道を歩いていて、途中に平塚宿があるという形だったので。

 この場所を訪れていたことを、実際に通った道に出るまで思い出さなかったというわけです。

 

 で、そんなことに気が付いたりしながら。

 せっかく平塚まで来たのだから何かないか。と思って、スマホで「平塚、観光」などのキーワードで検索していた結果。

GALLERY COOCA&CAFEという場所を知ったので、向かってみました。

 

f:id:mugiryu:20170920215611j:plainお洒落なパネル。

 

  今回は絵社というグループの展示が行われていて。

 このグループのテーマが『日常を「失神するほどオシャレ」にするアート」ということもあって、非常にオシャレな作品が飾られていました!!

 

 絵社さんのサイトはこちら。

 kaisha | 絵社(カイシャ)

 

 また、この展示を見ていて、自分も少数生産グッズを作って販売したいかという事を考えたのと、今ある作品を本にまとめて1回作ってみたいかもと思いました。

 他にも、先のイベントの事もあって、例えば「自分の絵柄でタロットの大アルカナを全部描いたり、トランプの全スートを描いてみるのもいいかも」と思ったりしていまして。

 

 このあたりのグッズ展開はちょっと考えていきたいかと思います。

 後、この〈GALLERY COOCA&CAFE〉ですが、結構雰囲気のいいお店だったので、今後また行きたいかもと思っています。

 

 〈GALLERY COOCA&CAFE〉のサイトはこちら。

 studio COOCA

 

 今回はカフェの方はやっていなかったのですが、個人的に料理が好きで、しかも何度かカフェを開きたいと思っていたりしたので、ちょっとそっちにも興味があります。

 まあ、開こうとするたびに、経営面が向いていないという事で諦めていたのですが。

 先の自分で本を作るのに関連して、絵と料理や器、家具の写真をまとめて〈理想のカフェ〉というコンセプトで本を作り、それを元に経営できる人に話を持ち掛けるのもありかとは思っていたりします。

 

 で、この後。

 今度は平塚市美術館に行ってきました。

 

f:id:mugiryu:20170920215848j:plain美術館を出た際の風景。

 

 美術館ではこの日まで「山の絵」展がやっていまして。これはどうやら「山の日」に合わせた展示だったらしいのですが。

 山というものが明治までは信仰の対象、あるいは文学(和歌など)として表現されていたのに対して、明治以降は自然として描かれているという説明が面白く。

 

 まあ今回の展示にもあったように信仰の対象あるいは精神世界の山というのは明治から現代にいたる、いわゆる美術の中でも描かれているのですが。

 しかし、山岳信仰などの山に関する信仰と、絵画の関係は僕個人としてはあまり考えたことがなかったので、結構新鮮な意見でした。

 

 で、この展示会でちょっと面白かったのは風景画〉と〈抽象画〉が似ているのではないかと気が付いたことで。

 例えば滝や山の緑、あるいは紅葉、雪景色だけをアップで描くと、オールオーバーな抽象画に似てくるのではないか? ということです。

 

 まあ、あるいは印象派のように印象を描こうとするとピントを合わせない写真のような表現も可能で。それのピンボケ具合を強くすると抽象画的になるというのもありますが。

 この辺りは考えていると面白いですね。

 

 一方、絵としていくつか気に入った作品もありまして。

 例えば麻田鷹司という方の「嵐山雪景」というのは雪景色が銀色で見ていて凄く魅かれたし。

 横山大観の「不盡之高嶺絵画でありながらデザイン的でもあって、横山大観の作品にこういう作品があったのは面白かったです。

 

 また、精神世界の山を扱った作品は独特な世界観が面白いのも多く、個人的には伊藤彬さんの絵の黒さには吸い込まれそうな感じを受けたりしていました。

 

 こんな感じで山の絵を楽しんだ後は、美術展で開催されていた写真と書道、二つの団体の展示を見ていたのですが。

 

 写真に関しては、現在、デジカメさえ持っていない状態で個人的には手を出してみたいものの、カメラ等の道具がないというのがあり、やっていませんが。

 人の写真を見ているとやっぱり風景とか、自然などを撮ってみたくはなります。

 

 一方、書に関しては実は全くわからないのですが。

 最近、黒一色で絵を描いているためか、文字として達筆かではなく、画として見事かならば多少わかる……気もしました。

 こちらも試してはみたいのですが……どうでしょうかね?

 

 と美術館ではこんなことを考えていまして。

 その後は、美術館の付近にある平塚市博物館に行っていました。

 

f:id:mugiryu:20170920220130j:plain外観。

 

 ここは博物館としては自然と文化、両方扱っている博物館で。

 自分の地元である町田の博物館はほぼ文化面のみなので、博物館には自然を扱うという面もあるという当たり前の事を今更思い出したというのがあります。

 いや、普通に昔からそういう博物館にも行っていたのですが、多分自分の中ではそういうのは〈自然博物館〉というジャンルに分類していたのではないかと。

 

 で、この平塚市博物館自分が予想していた以上に展示が多く、じっくり書いたらここだけで一回分の記事になりそうなのですが。

 照ヶ崎にアオバトという鳥がいることや、金目川の生き物などを知ったり。

 宗教的な信仰対象を描いた〈オヒョウゴ(お表具)〉という掛け軸について知ったり、その他、漁に関して独特な名称の道具がいくつもあることを知ったりなど……。

 結構、勉強になることが多かったりしました。

 

 また、この博物館には隕石の展示もあるのですが。

 前から僕は「よく物や動物の擬人化があるけど〈この博物館に展示されているもの〉というカテゴリーで擬人化したらどうだろう?」と考えていて。

 動物の骨とかも「古代なら信仰の対象だから擬人化できるだろう」と考えていたのですが、隕石となると「宇宙人キャラクターにでもなるのだろうか?」と考えていてちょっと面白かったです。

 

 さて、こうして美術館と博物館を巡った後は。

 平塚八幡宮にも行きました。

 

f:id:mugiryu:20170920220343j:plain鳥居から。

 

 由緒などは公式サイトを見ていただくとして。

 個人的に気に行ったのは御朱印をいただいた際に一緒にかなりしっかりした神社の案内資料がもらえることで。

 平塚八幡宮についての他、参拝の方法や、儀式や祝詞についてなど、他の神社でも役に立つ知識が色々載っていたのは非常に良かったです。

 

 で、この日はこの後、一旦最初の〈スピリチュアル祭り〉の会場に戻ってから帰宅したのですが。

 ……実はお昼を食べていなかったりしています。

 

 個人的には食事や料理も文化の一つなので、鑑賞という意味も兼ねてちゃんととりたいのですが。

 旅先であちこち回っていると食事をとらないで夜まで過ごすということも多く、ちょっと改善しないとまずいかと思っています。

 

 改善しないと楽しみが減る上に、翌日の体力などもなくなるので。

 今後どうするか、しっかり考えたいところです。

*1:別の惑星や完全な異世界、あるいは遠い未来で現代の西暦などが通じない時代に住んでいる人に、占星術数秘術をどう使うのかが謎ですが……逆にそこを考慮して、その世界における占いの体系から作ることも可能……でしょうか? なんかトールキン並みに細かい世界観設定を作る羽目になりそうですが