麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

また小説を書く

人類を呪う物語

人類が栄えるために犠牲になった者達

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 数日前に思いついたことから一気に小説を書いてみました。

 今回は前回のより多めの4000文字程度ですが、このブログの長めの記事なら大体その程度なので、まあ大した量ではないかと。

 

 ちなみに、数日前に思いついたというのは〈この小説のアイデア及びオチ〉が思いついたという意味で。

 この物語そのものの核心になっている要素は、自分が中学生時代から考えていることなのですが。

 

 テーマとしては。

 

 人類は自らが栄え、存続するために多くのものを犠牲にしてきた。

 我々はそのことを無責任にも〈過去の過ち〉などと言って誤魔化すが、何故未来にも同じように犠牲になるものが現れることを予測できないのか。

 

 仮にどんなに文明が進み、人間が優れた存在になったとしても、防ぎようのない不幸もあるが、その不幸に巻き込まれた人は〈仕方がないもの〉として諦めろというのか。

 不幸がたまたま起きてしまったではなく、確実にいつかは起こるだろうと予測がついて人類存続を繰り返すのは悪ではないのか。

 

 また、人類は〈過去の過ち〉あるいは〈未来に予測できる不幸〉については考えられるが。

 例え歴史上からも抹消された者たちや、逆に我々では想定すらできない不幸に巻き込まれる未来の子孫たちは果たしてどうなるのか。

 

 というのがあります。

 

 この小説、厳密に考えると主人公の〈転生〉によって変化した世界と、主人公の元いた世界の関係性がわからないので。ちょっと長編にするとそこを詳しく設定しないとならないのですが。

 短編で細かい説明を多くしても、面白みに欠けると思ったので今回はこういった形にしてあります。

 

 また、登場人物は今回、全員名前がないのですが。

 主人公の設定はかなり気に入っているので、この設定でちゃんと名前などを用意したキャラクターを使った長編も書いてみたい……と、思っています。

 

 まあ、長編に関しては現在書きかけなものがあり、しかも、プロットがあるだけでまだ手を付けていないのもあるので。

 当面、今回の主人公の設定の長編は書かないかもしれませんが。

作品書いていて思う事

4つぐらいの些細な事なんだが

リアリティと説明と配慮とヒーロー

 最近Twitterで話題になっていたことなどから、作品制作を趣味とはいえしている僕個人が、創作に関して、その問題についてどう解釈しているかという話題。

 

 まずどこまでリアルにするか〉という話で。

 例えば「武器を構えた際に音が鳴るのはおかしい」とか「チェーンソーは実際には武器として使えない」みたいな事なんだけど。

 僕の場合は最終的に、作品として良ければありと思っていて。

 

 ただ、逆にそれをわざと使ったネタ、例えば「構えたら音がなる銃なんて安物だ」とか「チェーンソーなんて、布かなんかを巻き込ませてエンストさせれば問題ない」みたいな話というのでも面白ければありという事なんだけど。

 

 ただ、さらに言えば「武器を構えた際の音」に関しては「武器の音が鳴るのはアニメやドラマにおける効果音の類で、視聴者にわかりやすくするために鳴っている。実際にフィクションの世界内では鳴っているわけではない」という方法もあって。

 チェーンソーも「現実のものとは構造が違い、武器としてのチェーンソーになっている」なら問題ない訳で。

 この辺りの解説を書いてリアリティを出すのもまた面白いかと思っています。

 

 この点。僕の小説内でも例えば。

「特撮ではメットなどで顔が隠れているだけで、声はそのままなのに相手の正体がわからないという事があるが。あれは視聴者にわかりやすくするために声をそのままにしているのであって、実際には別の声に変わっている」とか。

「二丁拳銃を同時に使っても狙いを定めるのは困難なはずだが、使用者が超能力者なので超感覚でそれをカバーしている」とか。

 結構、好んでこの手の「実際にはおかしいのでは?」対策の説明を書いていたりします。

 

www.pixiv.net この辺りは、明確に特撮ヒーローのパロディをしているこの作品では結構多めに扱っていて。〈メットだけでは声で判断されるのでは?〉に関してはやや違う形で、登場していたりします。

 

 で、これについて。

 たまにライトノベルなどの内容に「文章量は多くても中身が薄い」というようなことを言う人がいますが。

 これ、もしかして読者がわざわざ細かい点まで指摘するようになった結果、その対応として、本筋とは関係ない補足まで書かなければならなくなって、結果として内容が薄くなっているのでは……とも思いました。

 ちゃんと調べていないので、あくまで仮説ですが。

 

 まあ、これに気がついたのは、今僕が吸血鬼物のショートショート書いていて「人間は血を吸わない」という話題を書いた際に。

「実際には血液を料理に使用する例は世界中にある」と補足を書いていて「これ、いるかなぁ……?」と思ったからというのもあります。

 

 が、逆にこのわざわざ細かいところに説明を加えたり、自ら突っ込みを入れるスタイルもその人の作風と言えば作風なので。

 それを削るのが果たして良いのかとも言えて。

 まあ、こちらも読者が楽しければいいし、そういうのが嫌いな人は相性が悪かったとも言えるので、少なくとも趣味で描いている限りは構わないと思っています。

 商業だと文章の量が決まっていたり、読者の人気を意識しないとならないから別ですが。

 

 で、更に「特定の集団に対して、創作はどこまで配慮するべきか」なのですが。

 特に最近、ゲームの話題で「宗教の神をキャラクターにしている」とクレームがついたという話があったので。

 

 結構厄介なのは、これを〈宗教問題は複雑だから〉といって指摘されたらすぐに禁止に¥とすると、じゃあほかの宗教は構わないのか? というのが出てきて。

 宗教自体の教えで〈偶像崇拝の禁止〉などをしているならやめるべきだと思うのですが、そうでなければ果たしてどこまで問題かというのがあり。

 

 さらに言えば例えば〈悪役が宗教関係者〉という場合にどうなるのかとか。

 でもそれを認めたら今度は「悪役がこの職業に就いているのはけしからん」というのに対して「前者は宗教だから駄目で、後者は職業だから大丈夫」と線引きするのかという問題になり。 

 

 さらに「その集団の一部の人が批判したら駄目なのか。逆にそのキャラクターを応援している人もその集団にはいると思うのだが」ともなってきて。

 

 正直、先に書いた「集団の規則でやってはいけないとなっている」かあるいは「明確に特定集団や個人を侮辱している」あたりが線引きではないかとなるのですが。

 前者に関しては「そういう一派もあるとなったらどうするか?」後者には「侮辱とは誰が決めるのか」というのがつきまとうので……。

 

 この辺りは、結構問題かと思っています。

 

 が、そもそもフィクションは大抵「フィクションです」というのがはっきり書いてあり、モチーフにしているがあくまで別物扱いなので。

 むしろ神の名を語って現実に悪事を働く者がいることの方が問題ではないか……とも思っていますがね。

 

 で、最後にちょっとだけ。

 ネットで最近どこぞのそれなりの発言力のある人が「日本人はヒーローが助けてくれると思っているから平和ボケ」みたいな記事を書いたという話があり

 当然、特撮を含めたヒーローのファンとしては不満のある意見で。

 

 特撮では初期のころから「ヒーローに頼ってばかりではいけない」というテーマは扱っていたので、この文章を書いた人は作品を見ないで言っているのではないかとか。

 そもそも初期のヒーロー作品の制作者は実際に戦中に生きていたような人だったりするので、今の人なんかよりよほどリアルに戦争を考えていたはずだとか。

 いろいろ言いたいのですが……。

 

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 よく考えたら、僕は約5年前に書いたこの作品の冒頭で〈正義のヒーローに憧れる主人公の考えとして。

 ヒーローとして困っている人の元にすぐに駆けつけてしまうと〈とりあえず人に頼ればいいみたいな人間の弱い心を助長してしまうかもしれない〉と考えているというのを書いていたりしました。

 

 この作品、前から言っているように「変態を扱った作品だが、下ネタやエロはほぼ無い。強いて言えば露出度の高い男が出る程度」という内容なのですが。

 主人公がヒーローオタク的な存在であることや、書いている僕自身がヒーロー好きなので。

 この作品自体はいわゆる〈変身ヒーロー作品〉ではないですが、ヒーロー要素はアイデアもパロディもいくらか含まれていたりします。

 

 それと、この作品のテーマは〈変態扱いされて虐げられた者〉というのがあって、結構〈少数派〉とか〈普通と異常〉〈個性〉のようなものも扱っていますので。

 そちらについても興味がある方は、是非、読んでいただきたいと思っています。

ヒトは〈優れて〉いるのか?

個人的なヒトあるいは人間に関する疑問

現在読書中ですが……

 現在、ヒトあるいは人間についての本を5冊ほど読んでいまして

 既にこの段階で3冊読み終えているのですが……1冊目はヒトという種の特徴について、2冊目は人工知能とヒトの比較で、3冊目はそれぞれの分野の専門家の意見をまとめたという本で。

 

 個人的には3冊目が何度か「ヒトは優れてはいないのではないか?」という事も書いてあり、その辺りが気に入っているのですが。

 一方、僕はヒトの身体を他の動物より劣っているとは思っておらず、これは手や発声器官の構造、直立二足歩行などだけではなく、動物と何かで競っても決して〈弱い〉方に入る生き物ではないという事で。その辺りは1冊目の本が触れていたかなぁ……と。

 

 まあけものフレンズ』で「フレンズによって得意なことは違う」というように、全く違う環境にいる動物同士を競わせること自体が無意味ともいえるのですが。

 ここは子供が遊びで話す「スタローンとジャン・クロード・バンダムはどっちが強い?」レベルの話……と『ジョジョ』でプッチ神父が言っていたような感じのものだと思ってください。

 ただ、どんな環境でもそれなりに戦えてしまうのがヒトの強いところでもあるのですが。

 

 で、個人的に気になっているのは。まだ、読んだ部分だと本でテーマになっていないのですが。

〈心(あるいは感情)〉と〈理性〉という人間が〈人間らしい〉という際に取り上げる2つは果たして本当に〈素晴らしい〉ものなのかという事で。

 

 例えば部屋に5人を入れる。ケースの中に小さいボールが大量に入っている。5人はそれぞれ空の箱が与えられていて、1時間でできる限り、空の箱にボールを入れてもらうとした際に。

 

「褒美などは用意しないチーム」と。

「一番数多く入れた人に100円を、一番少ない数しか入れなかった人が払うチーム」

「一番多く入れた人に1万円を、一番少ない数しか入れなかった人が払うチーム」なら。

 

 どのチームが全体で見たらボールを大量に箱に移すかと考えると、個人的には最後のチームではないかと推測でき、また一番得するのは最後のチームの〈ボールを多く入れた者〉ですが、損をするのも最後のチームのボールを少なく入れた者であるという。

 

 で、これは「お金(褒美)をもらったり、逆に没収されたりすることに幸不幸を感じる〈〉」がなければ成り立たないし。

 また「未来を予測する〈理性〉」がなければやはり成り立たない

  だが、最後のチームの〈ボールを少なく入れた者〉側は〈〉があるから苦しみ、さらに〈理性〉があるから他者と比較したりしてしまう。

 

 しかも3つのチーム全体で比較したら、最後のチームの〈ボールを少なく入れた者〉が他のチームの者達より働いていなかったと言えるわけでもないし。

 あるいはこの人が〈体調が悪かった〉とか〈他の人を助けていた〉あるいは〈ほかのメンバーに妨害された〉だけで〈怠けていた〉訳ではないという可能性も否定できない

 

 と考えると「〈理性は種全体が栄えたり、得をするものが幸せになるのには向いているが、損をしたものが不幸になる事にもつながる訳で。

 この辺り「ヒトは〈心〉と〈理性〉を持った結果、他の動物より一層、同種族内の〈競争〉が激しくなった」とは言えないか?

 

 まあ、そんなことを言わずとも〈理性がなければ戦争も差別もないとシンプルにまとめても良いですが。

 ああいう極端な例を出すと反論もあるだろうと思うので、まずは単純な例から挙げようかと。

 

 ただ、この例えだと「褒美の多さと罰の多さ」で思われてしまいそうですが。

 そもそも「嬉しいことをより嬉しく、辛いことをより辛いと感じる存在」というのを想定するならば「薬物なり洗脳なりで〈感情ゼロ〉〈感情が普通〉〈感情が激しい〉の3チームを想定しないとならないので。

 これだとなかなか想定はできても想像しにくいかなぁ……と、思っています。

 

 後、この問題を考える際に「そもそも他の動物に対しての〈優劣〉〈強弱〉ってヒトが決めているような……」というのもあり

 例えば「生物は強い者が生き残り子孫を残す」から「だからヒトはこれだけ繁栄しているから優れている」というのは。

 

 仮にヒトと同じレベルの思考力があり、意思疎通できるが、全く未知の種族が人知れず住んでいて。

 彼らが意図的に人口をコントロールして「我々は基本的に不老で寿命はないが、事故などで亡くなる場合もあり、その際は人工的に新しい身体を誕生させ、それに死ぬ瞬間の脳内データを転送したものを移植します。そして3000人以上は増やしません」としていたら。

 彼らはヒトより数が少ないから劣った存在なのか? という事です。

 

 まあ、さらに言えば。

 そもそも野生の動植物って、たまたまその地域で〈増えてしまう〉ことはあっても、本来は〈現状維持〉で数を一定に保っていることが多いのだから。

 残ることは強いことであっても、増えることは強いことではなく、たまたまだったともいえる気もするのですが……。

 

 こうなってくると〈強さ〉とは何か〈優れている〉とは何かというテーマになってきて。単純に「与えられた条件の中でしか〈強弱〉や〈優劣〉は語れない」としてもいいですが。

 さらに考えを進めると何故、多くの人はこの条件を強い〉〈優れていると感じるのか」という別のテーマにもできそうです。

 

 ただ、面白いのは。

 人間社会での〈優れた人〉の一つのイメージになりやすい〈善人〉と、子孫を多く残せそうな人だと。

 全然イメージが違うので「優れた者が生き残り、子孫を残すが人間社会自体で成り立っていないということですけどね。

 

 この辺り、基本的に一夫一妻制で大量に子孫を残せない現在では遺伝進化は起こらないのではないか? という意見が最初に紹介した本にも書いてあり、興味深いと思っています。

 まあ、遺伝子的に強い存在を残せば良いというのは非常に危険思想に繋がりやすい気もしますがね。

久しぶりに紹介を

短編小説を追加する

実は数日前には載せていたのだけれど

www.pixiv.net 10月10日に投稿した小説らしく、大体2000文字程度のものなのですが。

 確か9日の夜辺りにTwitterでちょっと書いたネタを小説化したものです。

 

 一応、ある妖怪の詳細について、著者が語るという形ですが……まあ、オチが気になる人は読んでいただけると助かります。

 

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 また、こちらも書いた作品で。実は作品自体はこちらの方が先に書いてあったのですが、投稿は後だったという。

 内容に関してはタイトル通り〈矛盾〉について書いたものですが……まあ、ちゃんとオチはあの故事の先には進めておきました。

 

 某ニンジャ小説っぽい雰囲気なので、この文体で果たして良いのかと迷いましたが、まあこういう方向性もありかと。

 ただ、何故かウルトラセブン』ネタがあり、さらに魔弾戦記リュウケンドー』ネタもあるという……。

 

 まあ、そんな感じです。

 

 ちなみに、この作品(と、既に投稿済みの『現代版人魚姫』)は一応〈二次創作〉として投稿してあるのですが……これを二次創作にすると、昔話や伝説モチーフの作品はみんな二次創作になるという……。

 果たして二次創作の線引きはどこまでなのか、気になっています。

 

 それと。

 短編やショートショートの難しいところは「他人とネタが被りやすい。しかもアイデアが同じだと大体オチまで同じになる」というところで。

 

 実は昔、書いていた小説が、その後読んだ星新一さんの「地球から来た男」という作品とそっくりで、タイトルも「空から来た男」*1だったことがあり。

 

 以来、投稿した後に「あの作品のパクリでは?」と言われたらどうやって知らなかったことを証明するのか。ないことの証明は〈悪魔の証明〉になるが……とか。

 無知だと非難されたら今度はそもそも世界中にある作品を把握するのは不可能なのだが。

 という悩みもあったりします。

 

 ただその後。

 H・G・ウェルズさんの『塀についたドア』水木しげるさんの『丸い輪の世界』という2つの作品を偶然読んで。

 この程度なら類似していても問題ないかとは思ったりもしたのですがね。

*1:一応解説すると〈防御力が高い〉という超能力者が、いわゆる念力が使える超能力者と戦い、相手に空に吹き飛ばされた際に、雲を突き抜けたら何故かその先に地面あり。防御能力で着地したが、その世界は〈自分が住んでいたのとまったく同じ世界〉だったという話で。オチとしては相談された相手が「彼の話が本当なら、彼とは逆に〈彼が元いた世界〉に行った彼とほとんど同じ人物がいるはずだ」と考えるというものなのですが……「地球から来た男」に関しては実際に読んでいただいた方が良いかと

自分の価値観は自分のでしかない

なのでやはり〈主義〉ではない

そして分かれ道で立ち続ける……か?

 前回僕は〈反出生主義的な人〉であって〈反出生主義者ではないと書きましたが、何故〈主義〉ではないか。

 というか、何故最初にこの言葉を知った段階から〈主義〉は苦手と言っているか。

 

 それは僕自身が「たまたまその集団に属していた場合に、その集団の暗黙の掟みたいのに従わされたり、変な仲間意識を持たれたりするのが嫌」だからだったりします。

 

 例えば、流石に法律を犯したりはしませんが*1

 たまたまその国に生まれたからと言って何故「この国の人ならこうである」という暗黙のルールみたいのを守らないとならないのかがわからないし。

 

 小学生頃から「同じ学校の仲間」みたいな価値観は。

「そんなの動物図鑑でネコの仲間と書いているようなもので、友達という意味ではない。何故例えばスポーツの試合で自分の学校チームは応援し、他の学校チームは応援しないのかわからない。個人的な友人だというならわかるが」と思っていまして。

 

 その最大のものが「何故人類なら人類全体のために何かをしないといけないのか」というところに来ているので。

 それもあって〈反出生主義的な価値観〉を主張している*2のですが。

 一方で〈反出生主義者〉としてカテゴリー分けされた際に「〈反出生主義者なんだからこうであるとされたら嫌だというのがあり〈主義〉ではないとしていました。

 

 というか。

 僕の場合、11歳頃からの人生によって結果的に「人類は苦しむ人を増やさないために、滅んだ方が良いのでは?」と思ったので。

〈反出生主義〉を知って、後から価値観をそれに近づけた訳ではないため。

 おそらく、一般のそれとはかなり異質な価値観を持っているかとは思います。

 

 まあ、その一つが「一応は、人類存続の必要性が存在する可能性は認めているという事です。

 誤解しないでいただきたいのは「存続する必要性がある」ではなくあくまで「必要性がある可能性もある」なのですが。

 

 で、これも踏まえたうえで。

 僕はとりあえず分かれ道に立っている気分で。大体2つの道があり。

 厳密には思いつく限り4つなのですが、うち2つは行きたくないという感じです。

 

 先に行きたい、あるいは行ってもいい方向を言うならば。

「論理的に考えて、人類存続は害である」としてこのまま進むか。

「論理には限界があると認めて、人生の意味を探す」の2つで。

 

 逆に行きたくない道というのは。

「弱者が強者の犠牲になるのは当たり前」として非情・残酷を容認する道か。

「こんなことを考えたのが間違い」として、なかったことにする道です。

 

 行きたい道のうち、最初のものはもう長々と今までの記事で説明したので、強いて言えば、意見の補強になるか。あるいは論理によって〈人類存続の必要性〉を導き出すという方向になりますが。

 論理に限界があると認める道は、まあ、オカルト的な話になるので一般の〈反出生主義者〉には非難される可能性が高いかと思います。

 

 で、言うまでもなく。

〈弱肉強食〉のような道は僕が感情的に行きたくない道で。

 これを認めれば「社会になじめない弱者を虐げるのも、子供という弱い立場を親が利用するのも当然」と一応理屈は通るのですが。

 果たしてそれを良しとしていいものなのか……という話になります。

 

 最後の「考えるのが間違い」。これについては実は中学時代の教師に。

「どうせ宇宙が滅びるのになぜ生きる?」と質問した時の回答が。

「それは考えてはいけない事だ」だったので、下手をしたらそれで済ませている大人はかなり多い気もするのですが。

 

 考えないことができたら苦労はしない……というか、最低でもこの中学時代から30歳の現在まで考えているものをどうやって捨てるのかの方が難しい。

 となります。

 

 で、まあ。さらにオカルト的な話だけしておくと。

 前に神やら運命やらについて。

「人間より圧倒的に上の存在がいたとしても、その存在を人間は否定も肯定もできない」と書いたのが、僕の大体の価値観で。

 なので存在の否定まではしていないのですが。当然肯定もしていないというところです。

 

 また例えば「奇跡という一回きりのものを科学という再現可能なことで成り立つものでは扱えない」とか。

「仮に世界のすべてを理性で証明できたとしても、人間の能力では証明した瞬間にとうに昔の世界になっているから使い物にならない」とか。

「〈理性が優れているというのを理性で出す〉のは〈天才の私が天才と言っているから天才〉というぐらいの意見だ」とか。

 

 理性や論理の限界についてはいくらでもいえるのですが。

 ただ、じゃあ理性に変わる何かがあるのかと言われると、全く思いつかず、強いて言えば〈直観〉くらいになります。

 

 この直観。単なる〈勘違い〉の可能性もあり。

 逆に今までの経験から、脳が論理的思考をすっ飛ばして結論を出した場合もあって、実際学者などにはまず結論が沸いて、それを論理で証明する人もいるので。

 直観が〈間違い〉とも言えず、しかも後から僕自身が論理で後から証明できるかと言われるとこれもまたわからないので非常にややこしい問題でもあります。

 

 ええと。例えば特殊なものが見える、あるいは聞こえるという人がいて。

 それが〈幻覚〉なのか、それとも本当に何か特別なものが見えているのかはわからない*3

 仮に「正常な人間が見えていないなら幻覚だ」と言われても、じゃあ「人類の大半が集団で幻覚を見ていたら本物か」みたいな話になるので。

 非常に厄介な問題だったりします。

 

 で、実のところ。

 僕はたまに「自分は普通の人には当たり前に感じるものが感じない人」なのではないかと思っていることもあって。

 

 これは例えば、普通の人には「子孫は残すべきである」と、何か上位存在のメッセージを感じ取れるのですが、僕には感じ取れていない。

 だが、普通の人は〈感じ取れるのが当たり前〉なので、わざわざそれを話題にすることはなく、僕みたいな〈感じ取れない人〉が何を感じ取っていないのかさえ理解できない。

 

 みたいな感じなのですが……。

 まあ、こんな感じで一応非科学的なことも否定はしていません

 

 この科学的な意見に加えて非科学もあるとしているのは。

 オカルト、科学、これに加えて芸術などは。「まだ未知の部分がある」ことは前提として持っていて。

 

 オカルトは「未知のまま利用する科学は「未知の部分を解き明かすであり。

 芸術に関してはそれとは別に作品には作者本人しかわからない要素や、作者自身すらわからない要素もある。それを推測して楽しむのが芸術という価値観がある。

 と、僕が思っているからかもしれません。

 

 逆にそれぞれのものでも「未知のものを鵜呑みにする」「未知のものはないとする」「作品のすべてを理解できるとする」ようなタイプの人とは相性が悪いかと思います。

 

 まあ、とはいっても。

 結局、非科学的な事を考慮したうえで僕は。

人類存続を良しとするのは非科学的だし、非科学を受け入れるとしても自分自身が感じ取っていないからどうしようもないという意見で子孫を残すことに反対しているのですが。

 

 それに人類存続の意味」が「高次元存在の家畜」かもしれませんしね。

*1:ただ、本来人間は「人間として悪事をするのが嫌だからしないのであり、違法行為はたまたま嫌な事と一致している」というのが普通で「違法行為をすると罰を受けるからしない」では問題ではないかと思います。なんて、自らを〈人間ではなくヒトという獣〉と言っている者が言っていいのかわかりませんが

*2:仮に〈人類〉という種のためなら、子孫を残す方が良いのですが。それと人間という各個人の幸不幸を考えるのは別の問題です

*3:この前読んだ占いの本で占い師が〈見ている〉というのは〈目に映るのではなく、脳が見えたと認識する〉とありました。が、じゃあ幻覚かと言われると今度は「今あなたの目の前にあるこの文章が本当にある証拠は? 画面に触れたとしても触覚が幻覚の可能性もありますが」となり、最終的には〈水槽の中の脳〉みたいな話になっていくという……

僕にとっての現実的な問題

更に反出生主義について

〈出生主義〉の意見が見当たらないんだが

 さて、前々回に自分の価値観に近い言葉として〈反出生主義〉という言葉を知ったと書き*1前回はそれに対しての反対意見に個人的な意見を書きましたが。

 今回はどちらかといえば現実的な話について。

 

 というのも、いくら僕でもすぐに人類滅亡できるとも思っていないし。

 逆に、すぐに〈人類が存続するに値する理由〉が出るとも思えない。

 という事は当然、そうではなく「とりあえず今の僕がどうしたいか」という話からするべきかなぁ……と。

 

 ええと、まず最初に。悩みを共有したいというのがあります。

 いくら僕が「弱者の味方をしたい」とか「困っている人を助ける」といっても、完全に自己犠牲に生きられるほどの人間ではないです。

 

 というか、僕自身が「人間は栄えるに値しない」と思っている理由の一つが。

「そもそもヒトはまず自分ありきで、仮に〈他人のため〉と言ってもそこには〈精神的な満足感〉のような〈自分のため〉の要素があるはずだ。そのくせ〈他人にために働くのが偉いという価値観を広めていて、そうではない者を〈偽善者〉扱いする」というのがあるので。

 

 僕自身が〈自己中心的な理由〉で人類が滅びるべきといっているとしても、それによって僕の意見が〈間違い〉になることはないです。

 

 で、この社会は現実的な話「人類存続は正しいのが当たり前くらいの価値観でできていて。これはもう、歴史上ずっとそうなのでしょうが。

 

 例えば「子孫繁栄」「子宝」を祈願する場所は多くても「子孫断絶」を祈願する場所はほとんどない。少なくとも僕は知らない*2

 また誕生日になると大抵のSNSなどでは「めでたい演出」がされる*3

 

 出産に関しては当然のように「おめでとう」といい、それどころか妊娠を「おめでた」と表現する。

 結婚や恋愛も「家庭を持つ事」ありきで、恋愛から結婚、そして子供を持つのを普通の流れだと思っている。

 その結果なのか、恋愛や性的行為をしたことがない者やできないものを馬鹿にする傾向にあり*4

 そして「自分が生まれなかった場合の世界」を悪いこととして描き、いくつもの偶然が重なって自らが誕生したことを良いこととして描いたりする……。

 

 政治的な活動から、文化伝統あるいは自然保護*5まで、大体が「子孫のため」という理由で動いていて、そもそもの「子孫はいらない」という人間には参加する理由がない。

 にも関わらず、特に政治に関しては参加するのが正しいという風潮がある。

 

 とまあ、こういった〈自身の価値観にそぐわない世界〉で日々生活しなければならず。

 しかも、少数派過ぎておそらくは配慮さえされないし、もちろん僕の側も「配慮するべき」と訴えられないので耐えなければならない……なんて状態で。

 

 さらにたまにおせっかいにも僕個人に対して「将来家庭を持ったら……」みたいな話をしてくる人がいる

 しかもそれが何の悪意も敵意もなく、善意か、あるいは特に深い考えもない何気ない言葉として話している場合が大半なのでこちらが怒るわけにもいかず……結果ますますストレスが溜まり……*6

 

 と、僕みたいな人には散々な社会で。

 結果として人類とか残る必要性はないだろうという意見で、とりあえず一致できる人と話したい……というのがあります。

 

 で、次に。

 本当は、僕はなるべく意見は平等に聞きたいので〈反出生主義〉の意見ばかりではなく〈出生主義〉の意見も聞きたいのですが……。

 

 ないんですよね。ほとんど*7

 

 そもそも検索サイトで〈出生主義〉と検索すると最初に出るのが〈生地主義〉で次からほとんど〈反出生主義という。

 

 つまり、大多数にとって「人類存続は正しいのが当たり前過ぎて、そもそも議論のテーマなどにさえならないという……。

 こうなると人類は存続するのが正しい。何故なら――と、具体的に論述している内容を探すのはかなり困難ではないかと。

 

 で、この点でも「人類はなぜ存続する必要性があるのか」を本気で話せる人を探したいと思っていたりします。

 ただ、そういう人も多分ほとんど〈反出生主義〉で、最低でも最初は反出生主義だったのが何らかの理由で子孫を残してもいいとなった人ではないか……と思います。

 

 で、最後に。さっきの内容にかぶりますが。

 

 社会では恋愛や結婚、子供を持つ事を明るいイメージで表現するというのを止めたいというのがあります。

 これは僕自身が不快だから……というのもありますが

 

 これを真に受けて、何の考えもなく恋愛して結婚して、子供を持った親が、子育てをしたりしたら子供がかわいそうだ*8というのがあります。

 いや、これ自体も自分の実体験で「結婚して家庭を持てば幸せと思って親がそれを実行した結果、その親が精神病んでそのまま死んだ」からなのですが。

 

 ただ、恋愛や結婚*9に明るいイメージばかりつけると。

 悲惨な事件などを引き起こす原因にもなるので、例え「暗いイメージを教えたら少子化が進む」と言われてもこれは伝えなければならないかと。

 

 まあ、そもそも僕は〈反出生主義〉的価値観である以上、少子化どころか無子化が望ましいと思っているんですがね。

 

 ただ、僕の場合。

 最初の脚注に書いたように〈反出生主義者〉ではなく〈反出生主義的な人〉なのですが。これについては次回書こうかと。

 

 まあ、簡単に説明すると最初にこの言葉を知った時から感じていたように、僕には主義は向かない

 そしてそれが向かいないことが〈反出生主義的〉な価値観になっている理由の一つにもなっているので、ここを変えるのは困難……という事です。

*1:実のところ、すでに書いているように僕は〈非理性的な価値観〉すら認めているので、厳密には〈反出生主義〉ではなく、やはり〈反出生主義的〉でしかない気もするのですが。ところが、非理性的を認めるがゆえに「理性ばかりを重視しておきながら、出生や、人生の意味に限って急に非理性的価値観を出す人」が理解できないという……

*2:たまたまこの前読んでいた風水の本で『徒然草』の〈第六段 子といふ物なくてありなん〉が登場し、ここでは聖徳太子が子孫断絶のために墓に風水的な操作をしたとはありましたが……まあ、神社の御利益に〈子孫断絶〉はない気がします。というか、こんな時代なので〈子宝〉の逆に〈避妊〉ならある気もしますが……

*3:僕の場合、生年月日を明らかにするために誕生日を登録してありますが、あの手の演出を停止できないものか……と、思っています。何せ翌日が母の命日なので

*4:思春期前に「生まれたのが罪」と思っている僕にとって〈世間一般の恋愛〉や〈性欲〉は基本的に〈悪〉であり、必要がないもので興味は〈悪いものになぜ魅かれる〉という方向からなので、実際にそういったことをできるわけがないという。もちろん、動物なので性欲がない訳ではないですが〈好きな人には向けられない、好きでない人とはしたくない〉なのでまあ、役には立ちません。また、恋愛に関しては既に自分の理想の恋愛を書いたことがありましたが、かなり世間のそれとはずれているかと思います

*5:僕は文化伝統あるいは自然は保護したいですが、それは「僕が好きなものを、今生きている人に伝えたい」であって、まだ生まれてもいない子孫にとって必要だとは全く思っていません。仮に例えば優れた作品が失われても、その後に生まれる子孫は作品がないのが当たり前なので、それによって悔しい思いをするのはあくまで僕たち〈今、生きている人〉が中心で、後の人は精々「調べたら無くなったらしい。あればよかったのに」と思う程度です

*6:一番きついのは〈いつまでも夢なんて追うな〉と〈結婚して家庭を持つのが幸せ〉の組み合わせで。家庭の事情から精神を病んで、まともに職に就くことができないので好きなことを何とか仕事にしようとしている自分からしたら「まだ可能性のある道を捨てて、非現実的な道に行け」と言われているようなレベルの話になるのですが、相手はそれを正しいことを言っていると思っているという……また、同時に〈子孫を残せないから思想を残す〉で生きているので、それに対する否定にもなるので

*7:正直、20年ずっと「何のために生きているのか?」と考えてきた自分にとっては意外……な、反面。以前から「人はなぜ生きるのか?」みたいな本の内容がほとんど「どうせ死ぬのに」系で「この世は生まれるに値しない」系の意見はなかったので、やっぱりかという気持ちもあります

*8:親の方はどうかというのがあって、無知な子供の状態からそういう価値観を植え付けられていると考えると、それはそれで被害者かもしれないのですが。そうなると犯罪者も環境の影響でなったから被害者みたいな意見になってしまうので、厄介です

*9:前にも書きましたが恋愛は〈当人同士のもの〉結婚は〈社会的に夫婦関係だと認められること〉なので別物ですが。そもそもそれが別物という事さえ意識されにくいことから変えたいかと

【連絡】実のところまだ首が痛い……

のに、記事を書いてしまう

何とかしたいのですが……

 先月末からの首の痛みが治まらず、その結果頭痛もする状態で。

 しかし、諸事情で一般的な医者に行けない状態にあり、今まで接骨院と指圧に行って何とかしていたのですが。

 ようやく病院に行けそうなので、整形外科で相談し、場合によっては検査・治療をしたいかと思っています。

 

 が、ちょっと書きたいことが多く、既に2つ分記事のストックが書けているので、それについては後程投稿します。

 ただ、この記事の日付である10月10日は市民大学の野外講座があるので、その記事にあてるため、すでに書いた記事は早くても明日の分(11日以降)になるかと思います。

 

 本当はpixivに載せたい小説もあるのですが、書き足さなければならないものと、完成はしているが編集しなければならないものがあるので、こちらもお待ちください。