麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

市民大学2回目!!

今回は縄文時代が中心!!

第2回目のまちだ市民大学

 この日は、まちだ市民大学HATSの〈町田の歴史I ―縄文から幕末までー〉という講座の第2回目を受けていました!!

 

 今回扱ったのは、町田市を中心とした縄文時代だったのですが。

 その前に、町田市には縄文に限らず、数多くの遺跡が存在し、その数は都内で二番目だという事でした。

 ちなみに、一番は八王子市なのですが、密度で考えると町田市の方があるという話でした。

 

 まあ、これは決して町田が古代から栄えていたという訳ではなく。

 町田市の開発が行われた時期が、遺跡を発掘調査し、記録するといった法律が整った後だったため、それ以前に開発が行われた地域に比べて多くなったというのもあるらしいのですが……。

 兎に角、町田にはかなりの遺跡があるという事でした。

 

 その中には例えば。

 ストーンサークルである田端環積石遺構や、クルミ型土器が出土した木曽中学校遺跡昭和61年から平成23年まで発掘が行われていた忠生遺跡群などもあったりします。

 

 さて。

 そんな町田の遺跡については後々紹介するとして。

 

 今回は、縄文時代の人間がかなりレベルの高い文化を持っていたということについて。

 まあ、そもそも縄文時代自体が約1万年続いた時代なのですが。

 発掘調査によって、かなり色々な技術を持っていたことが明らかになっているということでした。

 

 個人的に面白かったのは。

 既に縄文時代には編み物が存在していたということで。

 そもそも縄文時代には縄があった以上、それを編むことは可能だったと思うのですが、どうやら投網はあったらしいという事。

 また、網代(木や竹で編んだもの)の痕跡が土器にあったり、実際に現物が出土したケースもある*1という事でした。

 

 また、一方で。縄文人も使っていたというのも興味深いと思いました。

 これに関しては、秋田県で漆を濾すのに使ったと思われる布が出土しており、町田市でも漆を入れるために使っていたと思われる土器が出土しているという事でした。

 

 どうやら漆は土器などを着彩するために使っていたらしいのですが。

 前から僕は、縄文人はあれだけ凝ったデザインの器を作っているけれども、色彩の方はどうだったのかと気になっていたので、これに関しては興味を持ちました。

 まあ、漆のようにはっきり残るものについてはわかるけれども、例えば花のような色が派手なものを愛でたり、利用したりはしていたのか……というのは気になるところです。

 

 一方、漆のように触れたらかぶれるような植物を使っていたという事は、おそらく他の植物の汁などを生活に活かしていた可能性も高いと個人的には思うのですが。

 やはり、他の文化の呪術者、シャーマンが医者としての役割を担っていたように、縄文の司祭や権力者にあたる人々も植物の汁などを薬などにして利用する知識を持っていたりしたのか、というのは考えてみると面白いかと思います。

 

 他に、縄文時代の人が予想外に進んだ文化を持っているのは、交通、あるいは流通の面で。

 町田市から発掘されている中空土偶の頭部は、国宝になっている北海道の現在の函館市から発掘されたものに、非常にデザインや作りが似ているため、おそらくそこと何らかの繋がりがあったという事が非常に面白く思えました。

 

 前から、石のうち黒曜石やヒスイは、長野や新潟辺りから持ってきている可能性が高いという話は聞いていたので、そのぐらいの流通はあったと思っていたのですが。

 北海道となると、かなり距離があるので、これは実に魅力を感じたというところです。

 

 それと興味深かったのは。

 縄文時代にはいわゆる〈戦争〉は存在せず、弥生時代からムラ同士の〈戦争〉が始まったらしいという話で。

 これは弥生時代になると環濠集落という堀のあるムラが発見されるから、そう推測されているらしいです。

 この理由については聞かなかったのですが。

 やはり稲作などで土地や財産(作物)を持つようになると、それを目当てに争いが始まってしまうという事なのかもしれません。

 

 ちなみに、この話を弟にしたところ。

 食糧不足もまた弥生時代からだという話があると聞いたのですが……こちらについては詳しく調べた訳ではないので、正確なところはわかりません。

 ただ、その理由は弟が言うには、縄文時代には周囲で食料が得られなくなれば移動するという手があったが、弥生時代以降は田畑があるのでそこを捨てて移動できないためという事でした。

 

 どうやら、進んだ技術によって便利になるとそれによる問題が発生する

 というのはこの頃から変わっていない人類の悩みだった……という事なのかもしれません。

*1:ただし、町田市ではない。帰宅後調べたところ、東京では東村山市で出土しているらしい