麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

市民大学4回目!!

発掘が語る古代の多磨

古代では〈多摩〉ではなく〈多磨〉

 さて、今回はまちだ市民大学の〈町田の歴史I〉の講義4回目。

 内容は発掘が語る古代の多磨~多磨の古代集落と武蔵国府~ということでした。

 

 ちなみに。

 現在では多摩と表記されますが、古代の資料では多磨あるいは多麻が多数で、〈多摩〉は一件しか例がないという事でした。

 で、この〈多磨〉というのは現在でも〈多磨霊園〉などに残っており。

 お寺に関する遺物で最も古いものは、東京だとこの霊園の側にある多磨寺だという事でしたが。

 伝承だと浅草寺が東京では最古*1となっていたりします。

 ちなみに、東京に現存する最も古い建築物は池上本門寺五重塔*2で、これは関東で最も古いの五重塔でもあるそうです。

 

 で、さらに調べてみると。

 東京最古の神社は府中市大國魂神社、文京区の根津神社景行天皇41年(111年)創建らしく。

 台東区榊神社、同じく台東区五条天神社はその前年創建とされているそうです。

 今回の講義ではその中の大國魂神社が扱われていたりしました。

 

 で、そもそも府中というのは武蔵国国府があったためそう呼ばれている訳ですが。

 遺跡を発掘してみると、どうやら現在の府中市の中心部から今回扱った7世紀頃の町の中心部が100m程度しか移動していないという事で。

 同じ場所に中心部が非常に長くあるのは珍しいのではないかという話でした。

 

 ちなみに、当時の人口は2000人程度だったらしいのですが。

 これは平城京平安京のような都を除くと、大型都市だったらしいです。

 

 さて、その後話は多摩ニュータウンNo.107遺跡という遺跡の話題になりまして。

 ちなみに、多摩ニュータウンの遺跡はあまりに数が多かったため、ナンバーで名称がつけられているそうです。

 

 で、この遺跡からは他の遺跡では珍しく木製品、特に木皿等が多く出土しているのですが。

 これはこの遺跡が低湿地だったため木でできたものでも残っているかららしく、ここの地域だけ木の器を使っていたわけではないという事でした。

 考古学では発掘されないもの、失われたものに関しては「わからない」という答えしかできないため、こういった普通でないものが残っている遺跡は良い資料になるみたいでした。

 

 また、この遺跡から出土した木皿には〈〉という字が焼き印などで印されたものが複数出土しているらしいのですが。

 これが「公のもの」を指すのか、それとも「〈館〉という字を省略したもの」なのかはわからないらしいです。

 

 ちなみに、この時代の土器からは則天文字風の文字も見つかっているという事だったのですが。

 そもそも僕は則天文字というものさえ知らなかったので興味を持ちました。

 これは中国の則天武后が定めた文字で、まあ、これについて調べただけでも面白そうなのですが……今回は日本で一番有名な則天文字は、水戸光圀の〈圀〉ということだけにとどめておきます。

 

 さて、多摩ニュータウンNo.107遺跡からは柱の跡が見つかっており、当時、一般の住居は竪穴だったため、柱は役所などの跡とみられるらしいのですが。

 それにしては規模が小さいという事で、果たして何があったのか。

 出土品には硯などもあり、また皿が大量に出土している事から「文字を書く仕事をした場所で、多くの人が食事をとる事もあった場所」があったようなのですが。

 行政の末端機関か、豪族の住居か……というところのようです。

 

 そして最後に御殿残窯跡群に関して。

 町田市の相原やその付近は須恵器の窯があったらしく。

 この窯の跡は分水嶺をまたいで存在しており、当時、この辺りの国境はファジーであったのではないかと推測されているようです。

 

 まあ、町田市は現在でも神奈川県と半ば冗談で言われることがあり。

 実際、明治時代には神奈川県であった事もあるので、ファジーなのは何か今に通じる感じもしたりします。

 

 個人的には、東京だけど神奈川要素があることが、町田の特色と考えているのでちょっと興味深いかなとも思いました。

 

 さて、次回は鎌倉から室町時代までを扱うようです。

 その際もブログにまとめるので、よろしくお願いします。

*1:推古天皇36年(628年)

*2:慶長12年(1607年)