麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

第9回市民大学歴史講座

江戸時代の成熟期

江戸時代の町田の商業とは

 この日の前日は第9回のまちだ市民大学 HATS「町田の歴史I」講座がありました。 

 まあ、この記事を書いているのは2017年8月30日で。

 ほぼ2か月経っているのですが。復習もかねて、配布資料とメモから感想を書いておこうかと。

 

 実のところ、江戸時代に関係する講義は結構回数が多く

 そもそもこの講義が幕末までを扱ったのだが、第6回あたりから江戸時代の初めに関わり、その後第7回の見学ツアーを除いて、第12回までは江戸時代関連なので。

 第6回を戦国時代としても5回は江戸時代関係になります。

 

 これに関しては江戸時代自体が結構長く、しかも資料などがそれなりに残っている時代なので。

 結果として様々な角度からの講義があるためというのもあるのだろうと思っています。

 

 で、そんな江戸時代に関して。今回は農業や商業に関しての講義でしたが。

 農業に関しては肥料や農機具の開発、進展によっていろいろ変化があったりしたらしいのですが、新しい技術などが登場すると、やはりもめることも多かったようでした。

 また、今回は桑畑など養蚕にかかわるエピソードも登場していて。

 ただ、養蚕は幕末から明治の方が大きな話になるのですが。

 

 町田市が幕末以降に栄えた理由というのは横浜港が開港したため、絹の道が町田を通る形で登場した関係なので。

 全国的にみると別に養蚕などに関して別段、町田が有名なわけではないですが、町田が栄えた理由としては非常に重要なエピソードになるという……。

 

 本当はこの関係で町田を通る絹の道を出発点である八王子から終着点である横浜までをちょっと調べたいというのもあります。

 

 あと、今回の講義でちょっと登場したので、江戸時代ではないですがついでに書いておくと。

 今でも「町田は神奈川県」と言われますが、明治26年までは実際に神奈川だったりしています。

 

 そして最後に。

 前回、第8回の講義でも触れましたが、江戸時代の農民は支配者層と文章でやり取りをしていたために読み書きや計算の能力が必要だったのですが。

 その結果、村役人ではない一般の農民にもそのような能力を身に着ける人々が出てきたり、寺小屋なども誕生したので。

 日本を訪れた外国人からしたら「日本の農民は読み書きの能力が高い」という扱いで。

 

 また村役人や豪農などの間では、俳句や絵画、挿花など。

 文化的ネットワークもできていたという事でした。

 

 この農民などの庶民の文化的活動については結構興味があるので、個人的に機会があればちょっと詳しく調べてみたいと思っています。