麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

弱者の味方、人類の敵

人類の存続は弱者の犠牲の上に

よって、人類存続不要

 まあ、前から連続している〈世界平和〉と〈人々を苦しみから解放する〉のを目的としたら、人類は滅亡するべきではないかの続き。

 今回は僕がなりたい*1のは〈弱者の味方〉であり、それはおそらく〈人類の敵〉ではないかという事。

 

 ただ、実は今回の「僕は〈弱者の味方〉になりたいんであって〈正義の味方〉になりたい訳ではない」というのはこの記事の日付の翌日に思いついたことで。

 文章の内容自体は10月2日どころか、以前からの考えだったのですが、タイトルの〈弱者の味方、人類の敵〉に関しては10月3日に思いついているので。

 果たしてこの10月2日分の記事として載せるのが適切かはわからないのだけれど。

 

 で、早速僕は〈弱者の味方〉になりたいんであって〈正義の味方〉になりたい訳ではないという話。

 僕は〈人類の存続あるいは繁栄〉と〈個人の幸福〉がぶつかる事は多々あるという事に関して。

「既に周囲より〈持つ者〉がさらに持つために、周囲に悪影響を及ぼす」ではなく。

 むしろ周囲より〈持たない者〉が人並みに持つために、周囲に悪影響を及ぼす」という事の方を意識しがちで。

 

 まあ、わかりやすく言うと「貧しい人を助けるためにお金を出すとしても限度がある。もし、限度を越えた額を出さなければ助けられないとしたら、果たして出す者がいるのか?」とか。

 あるいは「100人のうち一人生贄にすれば助かるとしたら、その100人の中で最も弱い者が選ばれるのではないか? その場合でもそれを正しい行いと言えるか?」という話でもあります。

 

 現実的に言えば、世間的にはごく少数しかいないタイプの問題を抱えた〈弱者〉*2を助けるために例えば国が時間、労力、資金などで膨大な力を注ぐとしたら。

 その力でもっと多くの人が助けられるのではないかと反対派が集まり、反対派が集まれば多数決で阻止されるだろうという事です。

 

 で、この場合に「多数派が幸福になるためには、一部弱者が犠牲になるのは仕方がない」と切り捨てることもできますが。

 残念ながら僕にはできない訳です。

 もちろん、こうやって生きている以上は確実に弱者を犠牲にしていますが。少なくとも意識して加担することはできない*3

 

 そうなるとすでに何度も言っているように「たとえ〈生まれてこなければよかった〉と思う者が一部に現れても、人類は存続するべき」という意見には賛成できない。

 よって、自らは〈人類の存続〉に関わる活動には参加できない

 ……という事なのですが。

 

 これを簡単にまとめると弱者の味方〉〈人類の敵であり。

 人類を守る事が正義としたら〈正義の味方〉ではない……という事です。

 

 で、本当はもう一つ「何故、僕がこんな価値観を持つに至ったか」も書きたかったのうですが、現在、肩と首が痛いので。

 これについては次回以降の記事に回させていただきます。

*1:〈ないたい〉であり〈すでにそうである〉ではない事と、大抵の場合〈弱者の味方〉を掲げるものに碌なのはいないという事は書いておきます。ついでに言えば僕の場合も人類滅ぼそうとしているので碌なのではないです

*2:弱者というのがどこまでを指すのかが曖昧で困るのですが。生活や生命に支障が出ている人とでもしておきたいかと。逆に一般世間的には弱者とされていても、それなりに人数がいる件に関しては、今回の話題の場合は含まれていません

*3:この件に関して「死ねばいい」と言われそうですが、死んだら死んだで助けられたかもしれない人が助からないなど、問題が生じるので。生まれた段階で仮に死を選んでも誰かを犠牲にしてしまうという事になります