麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

僕にとっての現実的な問題

更に反出生主義について

〈出生主義〉の意見が見当たらないんだが

 さて、前々回に自分の価値観に近い言葉として〈反出生主義〉という言葉を知ったと書き*1前回はそれに対しての反対意見に個人的な意見を書きましたが。

 今回はどちらかといえば現実的な話について。

 

 というのも、いくら僕でもすぐに人類滅亡できるとも思っていないし。

 逆に、すぐに〈人類が存続するに値する理由〉が出るとも思えない。

 という事は当然、そうではなく「とりあえず今の僕がどうしたいか」という話からするべきかなぁ……と。

 

 ええと、まず最初に。悩みを共有したいというのがあります。

 いくら僕が「弱者の味方をしたい」とか「困っている人を助ける」といっても、完全に自己犠牲に生きられるほどの人間ではないです。

 

 というか、僕自身が「人間は栄えるに値しない」と思っている理由の一つが。

「そもそもヒトはまず自分ありきで、仮に〈他人のため〉と言ってもそこには〈精神的な満足感〉のような〈自分のため〉の要素があるはずだ。そのくせ〈他人にために働くのが偉いという価値観を広めていて、そうではない者を〈偽善者〉扱いする」というのがあるので。

 

 僕自身が〈自己中心的な理由〉で人類が滅びるべきといっているとしても、それによって僕の意見が〈間違い〉になることはないです。

 

 で、この社会は現実的な話「人類存続は正しいのが当たり前くらいの価値観でできていて。これはもう、歴史上ずっとそうなのでしょうが。

 

 例えば「子孫繁栄」「子宝」を祈願する場所は多くても「子孫断絶」を祈願する場所はほとんどない。少なくとも僕は知らない*2

 また誕生日になると大抵のSNSなどでは「めでたい演出」がされる*3

 

 出産に関しては当然のように「おめでとう」といい、それどころか妊娠を「おめでた」と表現する。

 結婚や恋愛も「家庭を持つ事」ありきで、恋愛から結婚、そして子供を持つのを普通の流れだと思っている。

 その結果なのか、恋愛や性的行為をしたことがない者やできないものを馬鹿にする傾向にあり*4

 そして「自分が生まれなかった場合の世界」を悪いこととして描き、いくつもの偶然が重なって自らが誕生したことを良いこととして描いたりする……。

 

 政治的な活動から、文化伝統あるいは自然保護*5まで、大体が「子孫のため」という理由で動いていて、そもそもの「子孫はいらない」という人間には参加する理由がない。

 にも関わらず、特に政治に関しては参加するのが正しいという風潮がある。

 

 とまあ、こういった〈自身の価値観にそぐわない世界〉で日々生活しなければならず。

 しかも、少数派過ぎておそらくは配慮さえされないし、もちろん僕の側も「配慮するべき」と訴えられないので耐えなければならない……なんて状態で。

 

 さらにたまにおせっかいにも僕個人に対して「将来家庭を持ったら……」みたいな話をしてくる人がいる

 しかもそれが何の悪意も敵意もなく、善意か、あるいは特に深い考えもない何気ない言葉として話している場合が大半なのでこちらが怒るわけにもいかず……結果ますますストレスが溜まり……*6

 

 と、僕みたいな人には散々な社会で。

 結果として人類とか残る必要性はないだろうという意見で、とりあえず一致できる人と話したい……というのがあります。

 

 で、次に。

 本当は、僕はなるべく意見は平等に聞きたいので〈反出生主義〉の意見ばかりではなく〈出生主義〉の意見も聞きたいのですが……。

 

 ないんですよね。ほとんど*7

 

 そもそも検索サイトで〈出生主義〉と検索すると最初に出るのが〈生地主義〉で次からほとんど〈反出生主義という。

 

 つまり、大多数にとって「人類存続は正しいのが当たり前過ぎて、そもそも議論のテーマなどにさえならないという……。

 こうなると人類は存続するのが正しい。何故なら――と、具体的に論述している内容を探すのはかなり困難ではないかと。

 

 で、この点でも「人類はなぜ存続する必要性があるのか」を本気で話せる人を探したいと思っていたりします。

 ただ、そういう人も多分ほとんど〈反出生主義〉で、最低でも最初は反出生主義だったのが何らかの理由で子孫を残してもいいとなった人ではないか……と思います。

 

 で、最後に。さっきの内容にかぶりますが。

 

 社会では恋愛や結婚、子供を持つ事を明るいイメージで表現するというのを止めたいというのがあります。

 これは僕自身が不快だから……というのもありますが

 

 これを真に受けて、何の考えもなく恋愛して結婚して、子供を持った親が、子育てをしたりしたら子供がかわいそうだ*8というのがあります。

 いや、これ自体も自分の実体験で「結婚して家庭を持てば幸せと思って親がそれを実行した結果、その親が精神病んでそのまま死んだ」からなのですが。

 

 ただ、恋愛や結婚*9に明るいイメージばかりつけると。

 悲惨な事件などを引き起こす原因にもなるので、例え「暗いイメージを教えたら少子化が進む」と言われてもこれは伝えなければならないかと。

 

 まあ、そもそも僕は〈反出生主義〉的価値観である以上、少子化どころか無子化が望ましいと思っているんですがね。

 

 ただ、僕の場合。

 最初の脚注に書いたように〈反出生主義者〉ではなく〈反出生主義的な人〉なのですが。これについては次回書こうかと。

 

 まあ、簡単に説明すると最初にこの言葉を知った時から感じていたように、僕には主義は向かない

 そしてそれが向かいないことが〈反出生主義的〉な価値観になっている理由の一つにもなっているので、ここを変えるのは困難……という事です。

*1:実のところ、すでに書いているように僕は〈非理性的な価値観〉すら認めているので、厳密には〈反出生主義〉ではなく、やはり〈反出生主義的〉でしかない気もするのですが。ところが、非理性的を認めるがゆえに「理性ばかりを重視しておきながら、出生や、人生の意味に限って急に非理性的価値観を出す人」が理解できないという……

*2:たまたまこの前読んでいた風水の本で『徒然草』の〈第六段 子といふ物なくてありなん〉が登場し、ここでは聖徳太子が子孫断絶のために墓に風水的な操作をしたとはありましたが……まあ、神社の御利益に〈子孫断絶〉はない気がします。というか、こんな時代なので〈子宝〉の逆に〈避妊〉ならある気もしますが……

*3:僕の場合、生年月日を明らかにするために誕生日を登録してありますが、あの手の演出を停止できないものか……と、思っています。何せ翌日が母の命日なので

*4:思春期前に「生まれたのが罪」と思っている僕にとって〈世間一般の恋愛〉や〈性欲〉は基本的に〈悪〉であり、必要がないもので興味は〈悪いものになぜ魅かれる〉という方向からなので、実際にそういったことをできるわけがないという。もちろん、動物なので性欲がない訳ではないですが〈好きな人には向けられない、好きでない人とはしたくない〉なのでまあ、役には立ちません。また、恋愛に関しては既に自分の理想の恋愛を書いたことがありましたが、かなり世間のそれとはずれているかと思います

*5:僕は文化伝統あるいは自然は保護したいですが、それは「僕が好きなものを、今生きている人に伝えたい」であって、まだ生まれてもいない子孫にとって必要だとは全く思っていません。仮に例えば優れた作品が失われても、その後に生まれる子孫は作品がないのが当たり前なので、それによって悔しい思いをするのはあくまで僕たち〈今、生きている人〉が中心で、後の人は精々「調べたら無くなったらしい。あればよかったのに」と思う程度です

*6:一番きついのは〈いつまでも夢なんて追うな〉と〈結婚して家庭を持つのが幸せ〉の組み合わせで。家庭の事情から精神を病んで、まともに職に就くことができないので好きなことを何とか仕事にしようとしている自分からしたら「まだ可能性のある道を捨てて、非現実的な道に行け」と言われているようなレベルの話になるのですが、相手はそれを正しいことを言っていると思っているという……また、同時に〈子孫を残せないから思想を残す〉で生きているので、それに対する否定にもなるので

*7:正直、20年ずっと「何のために生きているのか?」と考えてきた自分にとっては意外……な、反面。以前から「人はなぜ生きるのか?」みたいな本の内容がほとんど「どうせ死ぬのに」系で「この世は生まれるに値しない」系の意見はなかったので、やっぱりかという気持ちもあります

*8:親の方はどうかというのがあって、無知な子供の状態からそういう価値観を植え付けられていると考えると、それはそれで被害者かもしれないのですが。そうなると犯罪者も環境の影響でなったから被害者みたいな意見になってしまうので、厄介です

*9:前にも書きましたが恋愛は〈当人同士のもの〉結婚は〈社会的に夫婦関係だと認められること〉なので別物ですが。そもそもそれが別物という事さえ意識されにくいことから変えたいかと