麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

ヒトは〈優れて〉いるのか?

個人的なヒトあるいは人間に関する疑問

現在読書中ですが……

 現在、ヒトあるいは人間についての本を5冊ほど読んでいまして

 既にこの段階で3冊読み終えているのですが……1冊目はヒトという種の特徴について、2冊目は人工知能とヒトの比較で、3冊目はそれぞれの分野の専門家の意見をまとめたという本で。

 

 個人的には3冊目が何度か「ヒトは優れてはいないのではないか?」という事も書いてあり、その辺りが気に入っているのですが。

 一方、僕はヒトの身体を他の動物より劣っているとは思っておらず、これは手や発声器官の構造、直立二足歩行などだけではなく、動物と何かで競っても決して〈弱い〉方に入る生き物ではないという事で。その辺りは1冊目の本が触れていたかなぁ……と。

 

 まあけものフレンズ』で「フレンズによって得意なことは違う」というように、全く違う環境にいる動物同士を競わせること自体が無意味ともいえるのですが。

 ここは子供が遊びで話す「スタローンとジャン・クロード・バンダムはどっちが強い?」レベルの話……と『ジョジョ』でプッチ神父が言っていたような感じのものだと思ってください。

 ただ、どんな環境でもそれなりに戦えてしまうのがヒトの強いところでもあるのですが。

 

 で、個人的に気になっているのは。まだ、読んだ部分だと本でテーマになっていないのですが。

〈心(あるいは感情)〉と〈理性〉という人間が〈人間らしい〉という際に取り上げる2つは果たして本当に〈素晴らしい〉ものなのかという事で。

 

 例えば部屋に5人を入れる。ケースの中に小さいボールが大量に入っている。5人はそれぞれ空の箱が与えられていて、1時間でできる限り、空の箱にボールを入れてもらうとした際に。

 

「褒美などは用意しないチーム」と。

「一番数多く入れた人に100円を、一番少ない数しか入れなかった人が払うチーム」

「一番多く入れた人に1万円を、一番少ない数しか入れなかった人が払うチーム」なら。

 

 どのチームが全体で見たらボールを大量に箱に移すかと考えると、個人的には最後のチームではないかと推測でき、また一番得するのは最後のチームの〈ボールを多く入れた者〉ですが、損をするのも最後のチームのボールを少なく入れた者であるという。

 

 で、これは「お金(褒美)をもらったり、逆に没収されたりすることに幸不幸を感じる〈〉」がなければ成り立たないし。

 また「未来を予測する〈理性〉」がなければやはり成り立たない

  だが、最後のチームの〈ボールを少なく入れた者〉側は〈〉があるから苦しみ、さらに〈理性〉があるから他者と比較したりしてしまう。

 

 しかも3つのチーム全体で比較したら、最後のチームの〈ボールを少なく入れた者〉が他のチームの者達より働いていなかったと言えるわけでもないし。

 あるいはこの人が〈体調が悪かった〉とか〈他の人を助けていた〉あるいは〈ほかのメンバーに妨害された〉だけで〈怠けていた〉訳ではないという可能性も否定できない

 

 と考えると「〈理性は種全体が栄えたり、得をするものが幸せになるのには向いているが、損をしたものが不幸になる事にもつながる訳で。

 この辺り「ヒトは〈心〉と〈理性〉を持った結果、他の動物より一層、同種族内の〈競争〉が激しくなった」とは言えないか?

 

 まあ、そんなことを言わずとも〈理性がなければ戦争も差別もないとシンプルにまとめても良いですが。

 ああいう極端な例を出すと反論もあるだろうと思うので、まずは単純な例から挙げようかと。

 

 ただ、この例えだと「褒美の多さと罰の多さ」で思われてしまいそうですが。

 そもそも「嬉しいことをより嬉しく、辛いことをより辛いと感じる存在」というのを想定するならば「薬物なり洗脳なりで〈感情ゼロ〉〈感情が普通〉〈感情が激しい〉の3チームを想定しないとならないので。

 これだとなかなか想定はできても想像しにくいかなぁ……と、思っています。

 

 後、この問題を考える際に「そもそも他の動物に対しての〈優劣〉〈強弱〉ってヒトが決めているような……」というのもあり

 例えば「生物は強い者が生き残り子孫を残す」から「だからヒトはこれだけ繁栄しているから優れている」というのは。

 

 仮にヒトと同じレベルの思考力があり、意思疎通できるが、全く未知の種族が人知れず住んでいて。

 彼らが意図的に人口をコントロールして「我々は基本的に不老で寿命はないが、事故などで亡くなる場合もあり、その際は人工的に新しい身体を誕生させ、それに死ぬ瞬間の脳内データを転送したものを移植します。そして3000人以上は増やしません」としていたら。

 彼らはヒトより数が少ないから劣った存在なのか? という事です。

 

 まあ、さらに言えば。

 そもそも野生の動植物って、たまたまその地域で〈増えてしまう〉ことはあっても、本来は〈現状維持〉で数を一定に保っていることが多いのだから。

 残ることは強いことであっても、増えることは強いことではなく、たまたまだったともいえる気もするのですが……。

 

 こうなってくると〈強さ〉とは何か〈優れている〉とは何かというテーマになってきて。単純に「与えられた条件の中でしか〈強弱〉や〈優劣〉は語れない」としてもいいですが。

 さらに考えを進めると何故、多くの人はこの条件を強い〉〈優れていると感じるのか」という別のテーマにもできそうです。

 

 ただ、面白いのは。

 人間社会での〈優れた人〉の一つのイメージになりやすい〈善人〉と、子孫を多く残せそうな人だと。

 全然イメージが違うので「優れた者が生き残り、子孫を残すが人間社会自体で成り立っていないということですけどね。

 

 この辺り、基本的に一夫一妻制で大量に子孫を残せない現在では遺伝進化は起こらないのではないか? という意見が最初に紹介した本にも書いてあり、興味深いと思っています。

 まあ、遺伝子的に強い存在を残せば良いというのは非常に危険思想に繋がりやすい気もしますがね。