Eternal Medium Second Chaotic Room

ただの中二病だと思うなよ!!

正義と悪は誰が決める

 解決できない問題山積みな毎日

僕らは何処へ行くのだろう……

  昨日は『映画 キラキラ☆プリキュアアラモード パリッと!想い出のミルフィーユ!』を見ていました。
 こんな精神状態ですが、あるいはそんな状態だからこそ映画を見たいというのもあり。ただ、体力的にもう一本見たかった映画は別の日に見送りました。

 

 で、その映画の後、化粧品として口紅……というのでしょうか? 紅でないのもあるのですが、まあ、今回買ったのはマゼンタに近い奴ですが。
 それとマニキュア、そしてそれらを落とすためのものを買いました。

 

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使い方は……妹にでも聞きます


 化粧などというものは覚えている限りしたことがないのですが、前からしてみたかったのと、今後ステージなどで活動する際のコスチュームに合わせたメイクもしたいので買いました。
 髪を染めたりもしたいのですが……コストがいくらほどかかるかが問題です。

 

 帰宅後、また元友人や父について考えていました。

 

 父について。
 私が「生まれてきたことが間違いだと育った私の気持ちがわかるか!!」と怒った際に。
 父が「わかるか!! ならお前に怒られている俺の気持ちがわかるか!!」と反論したことが非常に気に食わず。

 私を造ったのは間違いなく父ですし、そして「生まれたのが間違い」と育つ原因になったのも両親なので。


 それを行ったものに対して「お前(等)のせいで苦しんでいる気持ちがわかるか」と言ったのに。
 何故その答えが「苦しめた相手に非難されている私の気持ちがわかるか」という理解不能な回答になるのか……本当に意味不明です。

 

 ただ、更に困るのは。
 父にしろ元友人にしろ、一緒にいる際は少なくとも普段は私に対して親切だったり優しかったりするので。
 そちらの方を〈通常〉だと錯覚し、反抗心がなくなることです。


 何かDV被害者の「でも相手も謝ってきたし、優しいところもあるから」という理由で引きずってしまうのがわかる気もしました……父に関しては物理的な暴力ではないというだけで、家庭内暴力だと思いますが。

 
 ですが、冷静に考えると、仮にこれが〈私以外の第三者〉が被害者だったとしたら(元友人に関しては実際に第三者が被害者ですが)
〈私以外の人に暴力を振るったり、不当な扱いをしているけれど、私には優しいから〉で許すことになり。
 そう考えるといくら優しい時があっても悪は悪だと思いました。

 

 17時頃から知り合いと電話で話し、色々アドバイスをもらいました
 確かに、彼にメールで相談した際は「こんなに辛いのに僕が助からない」という内容でしたが。
 今はどんなに辛くても、護るべき者の為に戦い続ける」と覚悟をするべきではないかと思っていて、しかしその戦いの前に自分が倒れて二度と立ち上がれなくなったら意味がないとも思い。


 結果としてまず自分が幸せになり、その後虐げられし者達を救うという発想になっています。自分が幸福でありながら不幸な者の味方ができるのかが問題ですが、今味わっている気持ちを忘れないようにしていきたいところです。

 

 ただ、一方。人と比較しないというのは理想ですが。
 その理想を持った状態で7月ごろから社会で活動した結果が、気がつけば自分より幸せな者と比較してしまうという状況。
 さらには人を見捨てて、自分たちの幸せを追い求めるような人たちの幸せまで助ける必要性をまるで感じなくなったこともあり。

 

 他者との比較を捨てられる人間は、他者との比較を捨てられる環境にある人間だけではないか。
 例えば、宗教の修行者のようなものでさえ、そもそもそういう団体に所属し、修行が周囲に認められなければその域に達しないではないか。
 そういう考えもあります。

 

 まあ、そんな深いことを考えなくても。
 私が助けてもらえないことそのものだけなら私が我慢すればいい、だが私を助けなかった者は、次に困っている人がいても助けないだろう。
 つまり、私を助けないものは他の人も見捨てるのだから、今のうちに対処した方がいい
 という考えだとも言えます。

 

 他にも前にブログで書いた「タイムマシンでもあって、歴史上の優れた芸術家が不幸な目に遭うのを阻止できたとして、その結果、不幸な目に遭った経験から生まれた作品が誕生しなくなるとしたら、助けるべきか、助けないべきか」という問題を考えていて。
 そこから皆が幸せな世界には、悲劇から生まれた作品は登場しなくなるし、場合によっては悲劇を扱った作品は必要なくなるのでは?とも思いました。


 まあ、ここから派生して「もし『人質を解放してほしければ、名画を燃やせ』と指示されたらどうするのか? 名画を守って人質を救わない人に、芸術を鑑賞する資格があるのか」というも考えていましたが。

 

 そういえば〈物語〉シリーズ』で「過去に起きた事件によって、すぐれた人物が生まれた場合、過去の事件は良しとなるのか?」という内容は扱っていたなあ。
 なんて思い出しました。実はセカンドシーズンに入ってから収入の関係で手付かずなのですが。できれば早めに読みたいです。

 

 その後、自分はTwitterで自分自身の事を「戒めるために憎む人間」として「戒憎人間(かいぞうにんげん)」と名乗ろうかとしていましたが。
 僕は自分を「人と成った(成人)とは認めていないという意味では大人になっておらず、しかし年齢や能力的には大人である」と考えると。
 仮面ライダーが「身体は怪人だが、頭(心)は人間」というのと同じで、だから「大人の力を使って、大人ではないもの(≒子供)を護るべきではないか」とも思えてきました。


 しかし、この場合のいつまでも子供」を世間でいういつまでも子供」と一緒にするとややこしいかと思っています(おそらくアダルトチルドレンという言葉の誤解などもこの辺りにあるかと思います)。

 

 翌、17日。朝起きて最初に思った事は「奇麗事は人を助けないという事で。
 僕は友人が亡くなった後なら10年、母が亡くなった後なら20年。基本的に〈人が亡くなった〉こと自体を黙って生きてきたし。
 母の件に関しては「家事や育児のストレスで亡くなって、自分のせいだと思っている」ことは家族や親戚にさえ言わずに生きてきました。
 何故なら自分が辛いことを他人に話して心配をかけるのは間違いだと思っていたからです。

 

 また20歳以降は自然保護のボランティアにも参加し、他にも地元活性化のイベントなどにも参加しようとしていきました。
 私を裏切った元友人にも決して冷たく当たったわけではないと思います*1し、そもそも友人が起こしたトラブルに関しても「反省しているのだろう」と思っていたから付き合っていたというのもありました。

 

 ですがそんな僕を待っていたのは、何をやっているか意味不明な30歳の無職として虐げられ精神を病めば病むだけさらに使い物にならない奴として相手にされなくなり。
 家庭環境によって世間とは変わった恋愛観や人生観をまるで理解されず

 友人は裏切るという状況で。


 そのうえ、悩みを話しても「自力で助かれ」と言ってくる者までいる始末。
 仮に僕が今まで誰かを虐げておきながら、苦しくなった途端に助けを求めたなら納得ですが*2決してそこまで非情に生きた覚えはない
 
 で、これが僕一人が我慢したらみんなが幸せになるという事ならば良いのですが。
 今後も善意の人*3を利用した挙句、その人が困ったら助けないという社会は続いていくのだろうかと考えています。
 だとしたら、そんな社会の未来に貢献する意味はあるのか?

 

 ただ、一方でやっぱり世の中にはそういう消費されていく善意の人達がいて。しかもその中には〈この世に生まれることを拒否できない子供達まで入っている。
 ならば誰かがこの状況を変えないとならないのではないか? 例え非力でも無力でも、立ち向かわねばならないのではないか?

 

 それが朝起きて最初に考えたことでした。
 こんなこと考えていて、しかも風邪気味で喉は痛いですが。

 外はいい天気だったりします。

 

 しかし、子供という話ならば。僕がいまだに夢を追っているような生き方をしているのもまた「奇麗事が嫌い」だからで。


 正確に言えば「奇麗事だけなら好き、だけど世の中その奇麗事を語って悪を行うものが多すぎるし、深く考えずに奇麗事を言って他人を惑わすものもいる」と思っていて。
 夢に関しては〈大人〉は「夢を追うのは素晴らしい」みたいに子供に言っておきながら、自分たちは年齢とか才能とかを言い訳にして夢を追わない。
 そのくせ子供に対しては「夢を追うのは素晴らしい」というようなことをいう奴もいる。


 この状態が許せないので僕は夢を追うのは素晴らしい。だが残酷な事だ。夢の為に傷つき、時に命さえ落とす者もいる。それでも挑むかはお前が決めろ」と子供には伝えたいし。
夢はいつか叶う。あるいはその前に死ぬ。ただし、死んだ後叶うこともあるとも言っていきたいです。

 

 奇麗事に関して。
 僕が思っているのに近いのは一方では仮面ライダークウガ』のEPISODE41の台詞、もう一方では仮面ライダーアマゾンズ』の主題歌「Armour Zone」ですかね。
 興味がある方はぜひ視聴していただきたいです*4

 

 で、話を戻すと。
「みんな仲良く」とか「人を憎まず恨まず」な社会を作るのには、誰かが〈悪〉とお互いに「仲良くせず、憎んで恨む」をして人々を脅かす存在と戦わないとならない。
 でも奇麗事を守るために、誰かが穢い仕事を引き受けなければならないとして、そんな世界に何故守る意味があるのか……。
 だから、僕は個々の人々は守るけれど、人類は守りたくないと思っています。

 

 それと、自力で助かれという人間は〈今の僕〉が30歳の大人だからそう言っているのでしょうが。
 問題の大元である母親が死んだ際、僕は11歳だったのに誰も助けなかったことを考えると。
 この人たちは11歳の子供にさえ自力で助かれと言うのでしょうか?

 たまたま僕が生き残って大人にまでなれただけで、似たようなケースで助からずに死んでいく子供もいる事を考えてほしいと思っています。

 

 生きている人間は「あの時は辛かったけど生きていてよかった」と言えますが死んでしまった人間にはそれをいう機会すらない
 僕はたまたま生き残っただけだという事は忘れないで生き続けていきたいと思っています。


 ただ、僕がここで死ぬと〈後に出てくる同じように虐げられる者達〉に対しての裏切りにもなるので、自ら死を選ぶ予定はないです。

 

 結婚について。

 何人かの知り合いから、彼ら自身の家庭環境に対して「親が暴力を振るうような親だった」とか「浮気するような人だった」みたいな話を聞いていて。

 何故それでも自身は結婚して子供を持つのを良しとできるか考えていましたが。

 

 僕の場合、母も父も望んで子供を持ち、そして暴力を振るわず責任をもって育てたという、そこだけ見たら善良な親で。
 しかし、その善良さの結果として母は死に、父は「子供を助けられるのは自分だけ」とむしろ愛情や責任によって子供を縛り
 結果として僕のような子供がそのまま大人になったので。


「悪い親が不幸な子供をつくる」ではなく「たとえ善良な親であっても、不幸な子供にならないとは限らない」と考えているあたりが。
 結婚や家庭についての価値観で違うのではないかと思いました。

 

 もちろん、暴力や育児放棄のような明確な虐待を行った親とどちらが悪かと言ったら、虐待親の方が悪なのでしょうが。
 この場合ややこしいのが「本人が悪であるかないか」と「結果起きた出来事が悪であるかないか」は違うという事で。


 この辺り仮面ライダーOOO』の第31話から第32話の「良かれと思ってやっていたことが、結果的に悪に繋がる」というのに近いかと思います。

 

 食事中、ニュースを見て。核のゴミの話を聞きながら。
 ストレートに反対意見や賛成意見を言うよりは、皮肉を込めた方が、一旦相手に考えさせる時間を与えられる分、優れているのではないかと思いました。
 弱点として考えない人や、理解しない人が出る可能性もありますが。

 

 核のゴミを未来に残したくなければ。
「古代から我々は神話で〈神の怒りを買った者が滅ぼされた〉と語り継いできた。未来の人は〈神の怒りを買った原因の証拠〉としてこれを見つけるだろう」とか。
「我々は2万年前の絵や彫刻を発見して感動する。10万年後の人はこれを発見してがっかりする」くらいに言った方が良いし。


 逆に原発などを推進するならば。
「未来の為に今の我々が犠牲になったら、そもそも未来に生まれてくる子孫がいなくなる」とでも言えばいいかと思っています。

 

 まあ、私は「子孫はいらない」という価値観なので。
 この件に関しては「どちらにしろ、子孫を残す気がある者は、彼ら子孫に負の遺産を残してはならない」くらいしか言えませんが。

 

 しかし、食後から喉が痛く熱っぽくもあり、やはり風邪ではないかと感じ。
 しかし16時から精神科の方で病院に行くので、起きていなければならないため、今日は帰ってきたら早めに寝ようと思いました。

 

 そんな中でも絵を描いていて。
 そういえば「優れた芸術が悲劇から生まれた場合、悲劇を良しとするか」に関して。
 中学時代の英語の先生が「黒人差別に反対した英語の歌」を紹介した際に「こういう歌が作られなくなるような世界になってほしい」と言っていたのですが。
 差別や戦争を扱った作品は、それが批判であっても、悲劇から生まれているという点ではない方がいいものなんですよね。
 
仮面ライダー龍騎「人間はみんなライダーなんだよ」という台詞があり、この作品の内容だと「人間はみんな、自分の目的の為に他人と競い潰し合う」という意味なのですが*5
 初代のライダーのように〈悲劇から生まれ、自身を生み出した悪と戦わなければならない〉という意味では、悲劇に対しての反対メッセージの作品はみんな〈仮面ライダー〉ではないかなんて考えていました。

 

 まあ、僕はまだ中学生の頃は特撮は(幼いころを除いては)見ていなかったし。
 先の英語の先生は、暴力的要素は嫌いな人だったので、中学時代とも、英語の先生とも『仮面ライダー』は関係ないのですが。

 

 16時頃から予約してあった精神科に行きましたが、最悪でした。

 ラッキーだったのは初診で相手が「うちは鬱でなければ扱わないし、鬱ならば昔かかった医者に行ってください」として縁を向こうから切ってくれたことだけで。


 部屋に入った途端に、なんか体臭というか口臭というかそんな感じの妙な臭いが漂っていて。
 しかもこれが僕の勘違いではないらしく、医者の後ろの棚にファブリーズのようなタイプの消臭スプレーと、スプレー缶タイプの消臭剤が、消臭という文字まで見える形で置いてあるという。

 

 医者が机によりかかるような妙な姿勢で話していたり、髪の毛やら服装が乱れているというだけならまだ何か事情があるのではと考えて納得できましたが。
 部屋が臭くて、しかも消臭剤が置いてあるという事は、臭い部屋だと分かったうえで消臭剤で誤魔化して診察しているという事で。
 精神科とはいえ、病院が不衛生とか、絶対に関わりたくないじゃないか。

 そう思ったところです。

 

 まあ検査自体はできないが、精神障害発達障害の検査の相談を受ける」みたいなことを言ったから受診したのに「鬱でなければ薬で対応できないからうちでは無理*6と言い出したのも大変失礼だと思いますし。


 あるいはこちらの価値観を単に「それはおかしいと価値観の否定の意味で言ったのですが、世間的にはおかしい価値観を持ったまま育ったから相談しているのであって。
 おかしいから相手にしないでは単に「それは病気です」と言って何もしないのと同じではないかとも思っています。

 

 以前、受付が二階にあるが階段やエレベーターが狭い、これで足を骨折した人とかどうやって利用するのかという整形外科もありましたが。
 なんかこうなってくると世の中には〈厄介な患者は自分から通わなくなるようにして、追い返そう〉みたいな医者や医療機関もあるんじゃねえの?」と疑いたくなってきます。

 

 まあ、身近には親身になって相談に乗ってくれる医者*7もいるので、仮面ライダーエグゼイドに出てきたような医者や仮面ライダーOOOの伊達さんのような医者もいるんじゃないかとは思っていますが。


 正直、病気で弱っている人に追い打ちをかけたりする医者って、患者だけでなく、同業者の評判を下げたり、悪徳的な似非治療を栄えさせたりして、こいつらの方が〈社会の病気〉ではないかと思えてきます。

 

 で、その後町田の高原書店遠藤周作の本を買って帰りました。


 本当なら映画にもなった『沈黙』を買おうかと思ったのですが、自分が遠藤周作の作品を読むと、今後も基本的に絶対に暗い話ばかり選びそうなので。
周作塾 読んでもタメにならないエッセイ』なる見た目的には、棚にあったもので最もくだらなそうな書籍を買っておきました。


 何より、人間の残酷さや悲劇を描いた作家が、帯によると「ツキを呼ぶ、金持ちになる、モテる秘策」のような俗物的な内容を書いているらしいので、これは逆に気になると思ったというのもあります。

 

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 同名の別人ではないのですか? と気になるギャップ

 

 19時ごろに帰宅し、夕食をとり、その後『歴史秘話ヒストリア』の国宝を扱った内容を見ながら。
「仏教は興味があるし、仏像は好きだけど、悟りを開いたら仏像って必要なくなるよね」とか「国宝に選ばれた途端に注目する奴って何が楽しくて芸術鑑賞しているんだろう?」みたいなひねくれたことばかり考えていました。
 こんなことばかり考えているあたり、素直な鑑賞者よりはまだ皮肉屋の方が自分には向いているのかもしれません。


 ちなみに、自分が国宝で一番好きなのは火焔型土器で、他は曜変天目茶碗とかですかね? もちろん土偶とか刀とか仏像とか好きですが、特に上げるならばそのあたりかと。

 

 で、その後また考え事をしていて寝られず、結局深夜まで起きて読書やら絵を描くやらをしていまして。
 その際に人間の闇を扱った作品を検索していろいろ購入しようとしたのですが……適当にネットで買おうとすると送料が高くついて、余計な出費がかさむので。

 古本屋で探したり、ネットを利用するにしてももっと安く購入できるようにしたいかと思いました。

 

 その際に僕はやはり闇が好きだと思い。もしかしたら、もうこの世界は闇と光が入れ替わった世界なのでは? とも思いました。
 よく悪役みたいなやつがそういう「善と悪」とか「正と負」「陰と陽」「生と死」みたいのをひっくり返そうとする展開がありますが、実は過去に既にされているのではないかと。

 

 何せこの世は奇麗事が弱者を縛り、が他者を苦しめ、正義が誰かを傷つけ、平和を語って争い、人間を名乗る者が非人間的な行いに走る世界です。
 ならば穢れた事が弱者を解放し、憎しみが他者を助け、が誰かを癒し、争いを語って平和に生き、を名乗る者が人間的な行い*8をしてもいいのではないか?
 そんなことを考えたという事です。
 
 まあよく考えると俺は穢れている、悪党だ。憎しみを背負って争っている獣だ」と自らを自覚している奴の方が。
俺は清らかで、善人。愛によって平和にする人間だ」という奴より胡散臭くない気もするのですが……。

 

 そしてそんなことを考えてから。

 ニーチェの「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだに対して。
つまり〈中二病ツンデレ女子〉か〈文科系なジト目が似合う女子〉みたいなのを見つめたら、相手も見つめてくるという事か。最高ではないか」とも考えていたので。


 ただのアホかもしれません。

*1:私が一方的にそう思っているだけの可能性もありますが、相手側から「15年間付き合いがあるのだから、これからも仲良くしていきたい」と言っていたので、これが嫌味でなければそうでしょう

*2:これも厄介で、誰のことも虐げていない人などいない以上「僕は悪くない」という事もできないという……ただ、そんなこと考えない人は平気で「私は悪くない」というんですよね

*3:先の例と同じで、自分のことを「善意の人」というのは抵抗があるので、今回は「私は悪人かもしれないが、今後似たような状態の〈善意の人〉が現れても切り捨てるのだろう」としておきます

*4:ちなみに「Armour Zone」は最近は1日に30回程度は聴いていると思っています

*5:仮面ライダー龍騎』というのは13人の仮面ライダーが、勝者が願いを叶えられるというルールの中で争うという話です。実はこの作品、アメリカの同時多発テロやその後の戦争を受けて「それぞれの価値観の違いにより争う」というような作品になったらしいので、この作品もまた〈悲惨な事件が生み出した作品〉だったりします

*6:よく考えると相手の医者は頻繁に「それは薬では対処できない」みたいなことを繰り返していました。病院の掲示物やチラシなどにはカウンセリングやその他の対応なども書いてあったのに、何故薬で対応できるかできないかだけ問題にしているのかが謎です

*7:主に小児科担当の方と、内科の方で精神関連ではないですが、風邪や健康診断の際はいつもお世話になっています

*8:獣を名乗っているが人間的な奴らというとやはり『けものフレンズ』が浮かぶのですが……このアニメ〈描かれていないからこそ暗い〉部分がありますよね