麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

このサイトに物申す!

一応、10年程度の愛読者なんですが

1月7日のオフ会には参加予定です

 僕は約10年ほど前から文芸ジャンキー・パラダイス(通称:ジャンパラ)というサイトの愛読者でして。

 丁度、美大受験に(入った美術系学部を退学したことも含めて)失敗し、その受験を応援してくれていた友人が亡くなって、その後入学した専門学校も休学あるいは退学したあたりですかねぇ……。

 

 当初は精神を病んでいたこともあって、的外れなメールを送り付けたり。

 あるいはそもそも大量な文芸についての文章に「自分はこんな大量の作品を鑑賞はできない」と逆に精神的に参ったりしたりしていました*1

 

 が、やはり膨大な文化芸術に関しての知識があること。さらにいわゆる芸術を扱った人があまり相手にしない〈漫画・アニメ・ゲームのようなものも扱っていること*2で、なんだかんだで読み続け。

 一度、あるお墓関連で管理人の方と出会って、その後は頻繁にオフ会などにも参加していました。

 

 今までの年末年始のオフ会では「全国のローカルヒーローの紹介」「『仮面ライダーOOO』の第21話・第22話』および劇場版」「『琉神マブヤー』の1エピソード」「『愛の戦士レインボーマン』の1シーン」「自作絵画作品」なんかを紹介していまして。

 次回は自分が作っている『超伝神トライブレイバー』と、もう一つのヒーロー作品を紹介したいかと思っています。

 

f:id:mugiryu:20171127170753j:plainこんな感じで制作中です。

 

 と、こんな感じで敬はしているのですが。

 ただ、どうしても納得できないことがありまして。

 

 おそらく10年前から僕は、

他人と自分の中に“違うところ”を見るのが「戦争」、“同じところ”を見るのが「芸術」!〉というサイトトップに書いてあることに違和感があり。

 僕としては他人を自分と“同じにしよう”とするのが「戦争」、違うところ”で魅せるのが「芸術」!だと思っていて。

 まあ、どちらも一理あるとは思うのですが、直感でどちらよりかと考えたら後者という事なんですが。

 

 多分今回の納得いかない部分は、ここ由来だと思います。

 

 というのも。

 このサイトでは〈同じ〉や〈団結〉などを重視していながら、政治批判していて。

 僕自身は集団が嫌いだから集団の長である権力者とかはあまり好きではないし。

 また表現の自由があるから政治批判は勝手で、その辺は問題ないのですが。

 

「〈同じ〉を掲げながら、自分と違う価値観の政治家などを非難していたら、単に自分の価値観で世界がまとまるまで争い続け、結果として誕生するのはディストピア的な平和ではないか?」

 そういう疑問を、かなり前から持っていたのです。

 

 実のところ、僕は世界平和のためには人類滅亡が望ましいとさえ思っていて。

 もちろん、戦争などで滅ぼすのではなく、誰も子孫を残さず結果的に滅びるという方法なのですが。

 この辺りの価値観も違っていて。

 まあ、この記事から行けるリンクで何故そう考えていたのかがわかるのですが。

 その価値観(途中で〈反出生主義〉と知りましたが)についてのブログの記事が全6回プラスαぐらいあるので、全部解説しなおすと非常に手間がかかるという……。

 

 もう一つ人類が結果的に滅びるまで存続する方法としてはこの世は弱肉強食で、誰かが犠牲になるものだと受け入れる方法で。

 僕はもう、こちらで行こうかと思っています*3。ただし、そんな世界に子孫は残したくないので子供は作らないつもりですが。

 

 考えてみれば、仮に財力、権力、武力のような悪いイメージのある力を排除しても。

 愛とか表現とかそういう方面での衝突は避けられず、そして負けた者がすがすがしく敗北を認めるような状況しか起きないなんてこともまずない以上。

 どこまで行っても争いは絶えず、敗者は苦しみ続ける世界で。

 しかも失恋とか競争に負けるだけではなく愛によって足を引っ張りあい、お互いに自由を失う」「自分の表現が曲解されて他人が暴走し、その責任を取らされるという危険性もあり。

 こうなると仮に〈勝負〉や〈争い〉がなくなっても、誰かが不幸になる可能性は永遠に排除できず。

 

 そういう人間を無視して〈世界平和〉なんて言い出したら、平和な世界で苦しんでいる人は、どうすれば良いのか?

 それこそ表面上は平和なディストピアで〈いないこと〉にされて迫害されている人たちみたいですが。

 

 まあ、その辺りでこの管理人の方の掲げる平和〉はどう実現するのか?

 単に戦争のない世界なんていうだけで〈平和〉とするつもりなのか?

 と気になっていたのが一つあります。

 

 さらに追加で。

 仮に〈我々には考えもつかない方法〉で〈誰も苦しまない平和な世界〉が誕生したとして。それまでに犠牲になった多くの人たちはどうするのか?

〈平和のための尊い犠牲)というのを既に亡くなった人に対して使うならともかく、まだ生きている人や、さらには生まれてもない人にまで使うのか?

 

 また、誰かが苦しんだ結果得た平和な世界に住む人は、良くて誰かが犠牲になったという重荷を背負う人で。

 悪ければ誰かを犠牲にしてもなんとも思わない人なのだが。

 前者なら〈そんな重荷を残していいのか?〉後者なら〈そんな奴らの為に犠牲になるのか?〉という疑問もあります。

 

 苦しみや人生に関して言えば、この記事を書いているあたりの日付の『ジャンパラ』の〈徒然日記〉で、僕の好きな岡本太郎の言葉が引用されていましたが。

 彼は〈団結というようなものとは逆の価値観を掲げた*4上で「人間であるということは痛みを感じること」と言っていて、前者の価値観を無視して後者だけ扱っても単に都合のいいところだけ引用したか。

 あるいは曲解して使っているかになるかと思います*5

 

f:id:mugiryu:20171127170935j:plain今年の4月にも太陽の塔を見に行っていまして。

 

 他、戦争と芸術に関して言えば。

 第二次世界大戦を例に挙げるまでもなく、文化芸術活動を利用されて、全体が団結し、結果として戦争という方向に突き進んだという芸術の負の面を無視して。

“同じところ”を見るのが「芸術」というのを、戦争の逆であるように書かれるのもどうかと思っています。

 

 確かに藤田嗣治円谷英二のように本人の意思とは関係なく戦争に加担させられた上、その後その件で批判された例もありますが。

 一方、例えば戦中の音楽教育者は「戦争で〈特殊な聴覚〉の教育ができる」として軍に加担したとも言いますし。

 仮に不本意で芸術家たちが協力していたとしても、結果として芸術の力で団結して戦争への流れは無視できないと思います。

 

 この団結の危険性〉を軽く扱い、芸術の善の面だけ伝えたら。

 のちの歴史でまた〈芸術が戦争に利用される〉という悲劇を繰り返すのではないかとも考えています。

 

 あとは、僕は何度も書いているように文化芸術不味い珈琲を我慢して飲み干すための砂糖とミルクのようなものと思っていて。

 文化芸術で感動するために生きているというのは、僕に対しては価値観的に逆だと思います。

 これに関してはあくまで本人の自由なのでどうしたいかというのはないですが。

 

 ただ、例えばピカソの『ゲルニカ』や岡本太郎の『明日の神話はそれぞれゲルニカ爆撃〉〈原爆投下・水爆実験〉など〈負の要素〉があって生まれた作品で。

 また僕の好きな特撮でいうなら仮面ライダー龍騎アメリカ同時多発テロやその後の報復の戦争を受けて「複数のライダーがそれぞれの主義主張により戦う」という話が作られているといいますが*6

 

 これらの作品は「怪我や病気に対しての薬であって、最初から怪我や病気がなければ薬はいらないのと同じで、戦争やテロなどがなければ必要ない作品であるとも思います。

 そこから考えると、あくまで文化芸術は「マイナスを軽減する」もので、それ自体を目的にする生き方は僕には理解できないという事です。

 

 僕と誕生日が同じ画家の*7ルノワール人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない」と言っていて。

 僕は〈共感〉やあるいは不幸に対しての〈予防〉*8として不幸や残酷を扱った作品も必要だとは思っていますが、これに近い感じです。

 

 まだあと他にもあって。

 何せ10年間批判的な事を言わずにきたので溜まったものが相当あるのですが。 

 例えば英雄あるいは偉人に憧れることを他者に求めて良いのか という問題もあって。

 

 確かに彼らは精神的にも優れているし、自分自身がそういった偉人に憧れてそうなりたいと願うのは自由なんですが。
 他人に「あの偉人だって困難をを乗り越えたから頑張れる」として、偉人のような生き方を進めるのは正しいのかということで。

 

 僕は現実の人物ではないとはいえ特撮のヒーローは好きだけれど。

 だからと言って、現実の〈悲劇を背負った者〉や〈望まず力を持ってしまった者〉に闘う事を強要はしたくない*9し。
 仮にヒーローが番組作中でヒーロー自身の行うような危険な戦いを他人にまで勧めるようになったらそれは悪と同じだと思っているので。

〈過去の偉人の人生〉を挙げて、他人にもそうあるように言うのはどうなのかと思っています。


 また、歴史に名を遺した偉人の陰には、大勢の〈似たような境遇に陥り、名すら残せず消えた人たち〉がいる事も考えるべきだと思うし。

 あるいは歴史上の偉人を尊敬しているなら、それを超える人物を目指すべきで。

去ってしまった者たちから受け継いだものは、さらに『先』に進めなくてはならない!!*10というように、単に過去の偉人を尊敬するだけでなく何か一歩でも先を目指すべきではないか? とも思っています。

 これに関しては岡本太郎が既に当時有名だったピカソを超えると宣言していたことや、あるいはFate/Apocrypha第1期OP「英雄 運命の詩」の一説を引用してもいいですが。

 

f:id:mugiryu:20171127171105j:plain今年7月には多磨霊園に自身の作品を持って〈挑戦〉しに行っています。

 

 それとまだあって。自殺に関してなのですが。僕自身、母親と友人が自殺の可能性のある死に方をしている上で言いますが。

 僕は自殺は悪〉ではなく〈自殺をするような状況を作った者、あるいは止められなかった者が悪〉だと思っていて。

 その辺り結果的に(仮に自殺であるなら)友人の自殺を止められなかった僕は一生罪を背負って生きていこうと思っています。

 

 何故そう思っているかといえば、自殺に追い込んだものが悪であることは言うまでもなく。

 それを「生きていればいいことある」とか「辛くても頑張れる」「みんな苦しいから我慢しろ」など奇麗事並べてなにも助けなかった偽善者当然悪であると思っているからです。

 

 僕自身もこういった形で意見を言っていると〈偽善者〉とか〈詐欺師〉とさんざん言われますが。

 僕は自分の事を精神に異常をきたしている事や、それが一般的な精神科・心療内科では何の異常かさえわからない事。

 さらに自分が生まれたために家族が不幸になり、その上友人を止めることもできなかったこともあって、自分自身の事を〈悪魔〉〈妖怪*11〈人間ではなくヒトという獣〉〈名もなき醜悪な怪物*12とささえ言っているので、別に偽善者だろうが構わないかと思いますが。

 人間を名乗るなら偽善者ではなく、せめて人間として振舞って欲しいものです。

 

 勿論流石に家族や友人、恋人が亡くなったばかりの人に「お前は悪だ」とまでは言いませんが。

 そういう人たちが悲しんでいるのは反省があるからであり、亡くなった相手に対して「自殺なんてしたあいつは悪だみたいな気持ちではないと思います。

 

 ただ、例外として。

 *13自殺した場合、少なくとも子供にとっては*14親の自殺は悪〉だと思っていて。

 それはこの世には生きる価値がある」と判断したから子供を作ったのに、後になって「生きる価値はない」と覆すのは裏切りだからです。

 

 とまあ、散々言いましたが。

 今一番心配なのは、ここまで書いておいて1月7日に「風邪ひいて大阪に行けません」とかになることですね。

 万一そうなっても、後日大阪に行くか、それとも東京あたりで会うかしたいと思いますが。

 よろしくお願いします。

 

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最近音読しているポーの詩集と、今日買った本。過去から学ぶのは大切なので。

*1:僕だけかもしれないですが、精神参っているとき、図書館とか本屋に行くと「この本の中で、自分が一生かけても読める冊数は一握りで、しかもここにある本もまた世界中の本からしたら一握り」と考えて嫌に……なることありません? それに似た感じです。と、いいつつ少し精神が回復したあたりからひたすら図書館にこもっていたのですが

*2:ただ個人的にはファッションや料理をあまり扱っていないのが気になっていて。確かに生活にあまりに密着しているので〈贅沢〉というイメージもありますが、あれらも職人やデザイナー、料理人といった人たちが生み出している文化であり芸術なので

*3:先の記事では〈奇跡〉が起きない限りは価値観は変わらないとしていましたが、なんか〈闇堕ち〉して価値観変わっている気もします……

*4:大阪万博の「人類の進歩と調和」というテーマに「人類は進歩なんかしていない」としてノンを突きつけた結果、逆に〈太陽の塔〉というべらぼうなものを建てる形で対抗したりもしています。ただ、岡本太郎自身は〈対極主義〉と言っているので〈団結かつ分離〉のような形の可能性もありますが。ちなみに、自分の場合は〈何か問題や企画があれば一時的に組織化できるネットワーク〉のような形でこういった〈団結かつ分離〉を構想していたりします

*5:過去の偉人の〈良い部分〉だけを切り出して自分のものにするのは良いのですが、この場合、自分の価値観としてはどういうニュアンスで使っているのかが気になる、ということです

*6:龍騎』がないとおそらく〈大勢のライダーが出ることもある〉〈悪人もライダーを名乗る〉〈デザインが昭和のとは大幅に違う〉といった『平成ライダー』の特徴もなかった気がするので、そもそも今の形でのシリーズが存在していない可能性も高いと思います

*7:ちなみに、尊敬する岡本太郎は自分の誕生日の翌日で、僕の母の命日が誕生日になります

*8:確か虚淵玄さんがこの手の〈不幸の予防〉に近いことを言っていた気もします。詳しくは『語ろう! 555 剣 響鬼』あたりを読んでいただけると嬉しいです。特撮ファンとして

*9:厳密にいえば「して欲しい反面しろとは言えない」ですね。戦う道を選べばもう戻れなくなる可能性も高いので

*10:ジョジョの奇妙な冒険』63巻 眠れる奴隷その5 より

*11:仮に医学が進んでいない時代なら悪魔や妖怪、あるいは何かが憑りついている人として扱われただろうという意味もあります

*12:前にも書いたように『フランケンシュタイン』の怪物を〈先輩〉としているぐらいには自分を人間ではないと思っています

*13:この場合は〈作った親〉です。育ての親ではないですし、また一般的な方法以外で作った場合の親(仮に技術が発達したら人間程度の思考力や感情を持つAIやら人造人間の生みの親など)も入ります。また意志が問題なので強姦の被害者や、相手が避妊していると嘘をついていた場合に子供を持った親は除きますが、避妊していないことを理解したうえで結果的に作った(できちゃった)親の自殺は悪です

*14:別の言い方をしたら、子供以外からしたら先の例と同様「人を自殺するまで追い詰めたり、放っておいた人が悪」になります。少し残酷ですが、僕はこの場合〈もっとも弱い立場〉つまり〈生まれること〉を拒否できない子供側の味方です