麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

町田でミャンマーについて学ぶ

「カメラマンが見たロヒンギャの生活」

ニュースでは聞いているけれど

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 この日は町田市内で行われていた「カメラマンが見たロヒンギャの生活」という講演に行ってきました!!

 

 このロヒンギャという人々についてはニュースでも最近も良く取り上げられていて。

 言葉としては知っていたし、イスラム教徒の少数民族で迫害されていることも聞いてはいましたが。

 具体的にどういう人々なのかはほとんど知らなかったので、今回は聞きに行ったというのもあります。

 

 ただ、聞いていてかなり複雑な問題で。

 そもそもラカイン仏教徒ムスリムを敵対させたのは第二次大戦時の日本とイギリスという話で。

 

 僕自身は自分を「人間ですらない」とさえしているため、日本人だからというのはあまりないのですが。

 そうなってくると、国としての日本は、この問題についてもう少し考えても良いのでは……というのはあります。

 

 ただ、結構厄介なのは。

 自分が生まれる前の国の問題を、自分たちの責任にしてしまうと。

 

 このロヒンギャに関する問題にもある「ただそこに生まれただけの子供も巻き込まれる」というのを正当化してしまう事にも繋がるので。

 

 国や民族という集団や組織の過ちとそれに対する責任の取り方と。

 そこに属する、自分自身は生まれてさえいないので関わりようがなかった事件によって生じる責任というのは。

 果たしてどう考えればいいのか……というのもあります。

 

 が。とりあえず。

 今、困っている人がいるのを、あれこれ理由をつけて助けないというのは。

 善悪ではなく、自分は〈したくない〉事です。

 

〈したくない〉という感情での意見なのは〈しない〉という行動になると。

 後先考えずに、無茶な方法で助けた結果、自体が悪化というのがあるからなのですが。

 ただ、人を見捨てたりしたくないという純粋な感情の部分は否定しない方が良いかと思っています。

 

 あと。宗教の問題なんですが。

 信仰心が強い人の気持ちや行動を、そうではない人が推測だけでいうのは問題だし。

 また、同じ宗教を信仰していても価値観は違い

 例えば豊かな地域と貧しい地域では同じ信仰でもとらえ方が違うので。

 

 宗教によってで争っているというのが例えば、自分では無宗教と思っているような日本人がどこまで理解できるのかというもありました。

 

 僕の場合は。

 

 無宗教ですが、信仰がないわけではなく。

 また、日本あるいは多神教的な意味での神の存在は否定していないので。

 まあ、一神教のような全知全能になってしまうと、人間には高次元存在な過ぎて肯定も否定もできないと思っているのでこちらも否定はしていないのですが。

 

 それでも、生まれたときから周囲が熱心な信仰を持っているという場合の人々の気持ちは、やはり自分とは違うのだろうなぁ……と。

 

 ただ、それでも。

 同じ人間……いや、僕自身は自分を人間じゃないと言っているけれど、少なくともヒトではあるので。

 

 人間の基本的なところは同じというのがあり。

 今回の講演の場合だと、食事について触れていましたが。

 

 人間として、どこの世界でも「美味しいものが食べたい」という気持ちは多分共通なのだろうなぁ……と思いました。

 

 で、どうやらミャンマー料理のお店が、東京だと高田馬場にあると聞いたのですが。

 行ってみたいなぁ……なんて。

 

 まあ、一応主夫ならぬ主不などと名乗っているので。

 衣食住、特に食には興味が強いので……今度機会があれば、行ってみたいと思います☆