麦粒雑記

麦粒(ムギリュウ)が日々の出来事をあれこれ綴るブログ。

誕生日前日なので

怒りと憎しみと妬みに満ちて

人類とかいうヤツとの戦いを始めようか

 この日の翌日。というか、この記事を書いている日が誕生日でして。

 まあ、とにかくおかげで怒り憎しみに満ちています。

 あるいは誕生日を幸せだと思える人間に対しての妬みもあるかもしれません。

 

 ええと。

 なんで誕生がめでたいのか。正直、理解に苦しむというのがありまして。

 そもそもこの世に生きる価値があるのか、無いのかという話で。

 

 僕自身はそんなものないと思っていますし。

 あるいは、一度生まれたら念のために生きておく価値はあるかと思いますが。

 わざわざ生まれる価値はないかとも思っています。

 

 で、まあ。

 そんな時期に丁度『人生に生きる価値はない』という本を読んでいまして。

「まったくもってその通りだ」という話もあれば「難しいことをいう」と一回読んだだけでは理解できない話もあり。

 

「わざわざ書くほどの事か?」というぐらい当たり前のこともあるけれども、おそらくは世間では全く非常識だからこそ書いているのだろうなあというのもあり。

「言われてみればそうだ」というのもあって……まあ、読んでいて面白いです。

 

 特に。心の病とかについて書かれていた場所の後半の内容に共感を抱いたりしていて。

 とか平和とか正義とかは非常に危険で、それを掲げれば、その価値観に反する人を虐げても構わないという人が非常に多い

 さらに言えば。

 虐げられている本人さえ、虐げられていると気がつかないどころか、自分の方が悪だと思うこともあるので、非常に厄介だと思っています。

 

 どうも人間は。というよりも社会とか人類みたいな人間の集団は。

 その集団の維持には不要どころか危険である怒り、憎しみ、妬みのようなものを悪のものとしていて。それを抱くこと自体を問題視するけれども。

 

 それはあくまで集団にとって問題なのであって、どこかで発散しなければ本人が病むか。

 あるいは一気に爆発して、凶悪犯罪みたいなものに繋がる……気がしています。

 

 ただし、最近は流石に病んだ人が増えたら社会にとってもマズいからか、多少は考えが変わってきた人も多いとも思えています。

 

 ただ、これも厄介で。

 

 周囲に害をなすタイプの危険人物は「社会にとって問題だ」と分かりやすいから対処されるのに。

 自分自身が苦しむタイプの人物は、社会にとっては数が集まらないと大した問題ではないから、個人レベルでは全然扱われないという……。

 

 何故、悪事をしたものが社会によって相手にされて治療や検査などを受けられて。

 自分が被害を被っている者は相手にされないのか……と考えると、所詮社会は奇麗事でまわっているんだろうなぁ。

 

 なんて思います。

 

 ちなみに。

 自分が特撮やアニメなどのヒーロー(作品)が好きなのは。

 

 ああいう作品は、ヒーローが戦う(≒武力を使う。相手を殺す)という要素があるため。

 むしろ積極的に愛や正義や平和を掲げる事の危険性を描いている面がある。

 というのが理由なので、正義の味方が好きなのに悪役みたいな価値観になるのも仕方がないかと思います。

 

 まあ、探偵は犯罪者の考えがわからないと事件が解けない……。

 みたいなものかもしれません。

 

 それとこの本……というより、中村義道さんの時間についての考え方は。

 結構すんなり理解できた気がします……気がしますであって、できましたと断言できない程度の理解ですが。

 

 まあ、前に「過去の自分は自分ではなく、未来の自分もまた自分ではない。よって、自分は今という点にしか存在しない」とか僕自身がブログに書いていますが

 それに近いかなぁ……とか。全然違うかもしれませんが。

 

 しかしじゃあ、過去や未来の存在を完全否定できるかというと。

 人間というかヒトには否定も肯定もできず、仮定できる程度じゃあないか?

 

 みたいになってしまうのですが……まあ、僕自身は哲学的な意味でも、あるいは物理学(に、なるんでしたっけ?)的な意味でも。

 時間については詳しくないので。この程度の意見になるかと思います。

 

 それと。オリンピックやノーベル賞で同じ国の人がメダルや賞をとったというのに特に関心がないというのも自分に似ている気がします。

 

 僕の場合は自分が間違った存在だと思った10代の時に「全てにおいて正しい人」になろうとしていて。

 そのためにはあらゆる面で平等になりたいと思い。

 年齢、性別、国籍、人種、所属する団体……といったものをすべて排除した「〈人〉そのもの」になりたいとも思っていたからだと考えているのですが。

 

 実のところ、何のレッテルもない〈人そのもの〉なんて。

 むしろ人ではない存在なんだろうなぁ……と。

 

 まあ、そんなわけで。

 僕は自分の事を〈人でなし〉〈ヒトという名前の獣〉と言っているのですが。

 

 で、最後に。とりあえずタイトルに戻りますが。

 

 解説にもあるように多くの人は「人生に生きる価値はない」と思っていると僕は思うのですが。

 にもかかわらず、それを悩まなかったり、あるいは子供を作って人類が存続しているのは、多くの人にとって、なんだかんだで生まれてきて幸せだからだと思います。

 

 そもそも幸不幸をどう計算するのかなんて、数値化できるわけもないと思うので何とも言えませんが。

 人生には苦しいこと、辛いことはあるけれど、合計したら(直観的に)幸せの方が多い……みたいな感じですね。

 

 が、僕の場合。

 果たしてその幸せは親(人)を苦しめ死なせてまで得る価値のあるものという問題が入るので。

 そもそも幸せを幸せだと感じること自体に抵抗感があった

 

 あるいはイメージとしては。

 

 幸せというものを感知するセンサーにロックがかかっているか、感知しにくいように覆いがかぶさっているから。

 他人と同じような幸せを受け取っても、こちらがそれを幸せとは感じない……というところでしょうか?

 

 だから、人生という不幸なものを、しかも価値や意味がないとしたら。

 いったい何のために送る必要があるのか……というところで。

 

 まあ、だからといって最初に言ったように念のためには生きているし。

 これからは他人の「皆の為に自分は犠牲にしろ」なんて意見は無視して、自分の幸福を追い求めようかと思っているので。

 今すぐ死にたいだとかは思っていませんが。

 

 いや、単に若いうちに死ぬなら痛いだの苦しいだの。

 失敗したら後遺症が残ってますます酷いだのあるから死なないというのも大きいですけれども。

 

 それでも。やっぱり。

 自分は一生子供は持たない*1つもりでいます。

 

 まあ、自分勝手に子供を作っておきながら、自ら死を望むような親が現れた時点で。

 その子供の代で末代になる事は、当然なので仕方がないですよね☆

 

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 ちなみに、この日の前後にこんなもの描いていまして。

 縁取りがきれいな円ではなくやや雑ですが、グッズ化の際は円形に切り取るので問題ないかと。

*1:前にも書いたように自分の責任が及ぶ範囲の話です。例えば「採取された血液から生殖細胞を作って遺伝子的には子供である存在が作られていた」みたいな僕の意志とは関係ない子供はできてしまったら、場合によっては育てるだろうし。逆に人間と同レベルで思考し、感情もある人工知能ならば人間ではなくても造らない……というかんじですね