Eternal Medium Second Chaotic Room

ただの中二病だと思うなよ!!

思いついたことあれこれ

あれやら、これやら

まだまだこの世界に関して考え足りない

 また相変わらず「人生は何のために存在するか」「苦しみ溢れる世界なら人類は滅ぶべきではないか」について考えていて。

 いくつか思いついては、あれやらこれやら……でした。

 まあ、実は8月末に精神的に追い詰められて以来、久しぶりに哲学・思想関連書籍を4冊程度読んでいまして

 

 1冊はあまり自分自身には大した参考にはならなかったのですが。

 2冊は「面白いが、しかし……」程度。最後の1冊が「そう思っていた」「言われてみたら確かにそうだ」「ちょっとよくわからない」が入り混じったみたいなので。

 

 最後が一番良かったですね。

「ちょっとよくわからない」という部分も「何言ってんだか、わかりそうで分からない。ちょっと考えたい」であって「意味は分かったが受け入れられない」という分からないではないので。

 

 ただ、参考にならなかった1冊目と、過去の哲学者や思想家の意見を考察するタイプの「面白いがしかし」の2冊に関して。

 「どうせ死ぬ(≒無になる)のになぜ生きるのか」は扱っても「辛いのに何故生まれてくる(新しい命をつくる)のか」は扱っていなかったという……。

 最後の1冊は多少触れていましたが……。

 

 哲学が「当たり前を疑い、改めて考える」要素を持っているならば「生まれてくるのは幸せか?」「人類は存続するべきか」を疑ってもいいはずなのですが。

 これはたまたまそれを扱っている本に当たらなかっただけなのか……もう少し別の本も読んでみたいと思います。

 

 で、最近思ったのは「人類は誰かが必ず苦しむから滅んだ方がいい」を個人レベルにすると。

ほぼ助からない怪我で苦しんでいる人を助けるために〈延命する〉〈痛みは抑える〉〈放っておく〉〈殺す〉どれをするか。あるいはほかに手はあるかであり。

 さらにそれぞれを選んだ場合でも今度は「実際にそれが、現実的に、あるいは精神的にできるかという問題があるという。

 

 精神的にというのは「助からずに苦しんでいるなら殺します」という奴がいても、本当にそういう場面に遭遇した時にあなたは相手の命を奪えますか? という話です。

 また〈延命〉や〈痛みを抑える〉ならば、具体的に何をしますか? という事になります。

 

 この例だと僕の感覚だと「緩やかな人類滅亡」は先の例だと〈痛みは抑える〉なのですが、人類存続だと〈延命〉に近いイメージになるという……。

 この辺りは尊厳死〉や〈安楽死*1について調べれば何か手掛かりはありそうです。

 

 で、個人レベルだと「その人の意思に任せる」というのが出そうですが。

 例えば密室に3人組が閉じ込められている。30分後、激痛を伴う毒ガスが撒かれて死ぬが、最初の5分で死を選べば無痛のガスで死ぬとなった場合。

 

 多数決で生き残るのを選ぶのが正しいのか

 多数派に巻き込まれて25分くらい人生が短くなる、あるいは激痛を伴って死ぬ者の気持ちについてはどうなるのか? という問題を考えました。

 

 これ、中にいる一人としてどうするかの場合と。

 外から彼らをどうするか考える(自分は死なない)場合でもさらに違うと思うのですが……。

 あるいは生き残る時間を3日ぐらいにして「3日間はやりたい放題の贅沢ができるが、その後あり得ないぐらいの激痛で3日くらい苦しんでから死ぬ」の場合はどうするかとか*2

 

 ただ、この場合。多分正しい答えを出すのが目的というより。

 ここまで残酷な事でも本気で考えられるかという方が問題で。

 

 こういう条件を出すと「そんなの非現実的」とか言って、そもそも考えない人もいる

 だが、ここまで残酷ではないにしろ、現実には残酷な事態について、とっさの判断で考えないとならない場合もある*3*4

 というのを少しは考えて欲しいかと思っています

 

 で、これに伴って、ちょっとは〈優しい〉問題なのですが。

1つしかない座席にあなたが座っている時、お年寄りと、妊婦と、足の不自由な人が来ました。誰に譲りますか?という問題を考えていて。

 

 これに関して「これなら状況次第だろう」と思ったのですが。

 現実的に「状況次第だ」として考えた場合、決定するまで誰も椅子に座れない

 また、誰かが座るだろうと自分がとりあえず席を空けたとしても、先の三人が善人でお互いに譲り合ったらやはり座れない。もちろん言い合っても座れない

 しかし自分勝手な者が一人だけいて、他が善良だと、その一人が勝手に座ってしまうと考え、おそらくゲーム理論とかの本を読めば似たような考えが出ていると思うのですが。

 

 さらに現実だと先に挙げたのとは別の人が来て座ってしまうみたいな予想外がおこる可能性もあり。

 しかもその人が一見健康そうに見えても「見た目ではわからない病気を抱えている」とか「過労でひどく疲れている」かもしれません。

 さらに「具合が悪いが周りのために嘘をついて健康を装う人」と「健康だが自分のために嘘をついて仮病を使う人」が出てきたらどうかとか……。

 

 まあ、これだけ考えていてもかなり困ります。

 しかも、これは座席というのがテーマですが、表現次第では先の毒ガスの例みたいに命のやり取りにさえできるので。

 

 と、この世の不条理について考えていました。

 

 そしてここから不条理そのものではなく何故、ヒーロー作品は特撮やアニメなどを知らない層から〈明るい話〉と思われるのかを考えていて。

 

 何故なら僕みたいな特撮が好きな人からしたら命のやり取りをしたり、報われない戦いをしたり、だれも苦しまない世界のような不可能な理想を不条理な世界で追えば『fate/stay night』みたいに〈理想を抱いて溺死しろ〉と言われるまでもなく、絶望的な状態に追い込まれるのは当たり前」と思っていたので。

 

 一般人が何故〈ヒーロー〉や〈正義の味方〉が出る話が〈明るい話〉と捉えるのかがわからないというのがありました。

 

 が、友人と話していて。これは単純に。

「見ていない層からしたら、表面上の〈明るい雰囲気〉で判断していて〈実は暗い話〉まで考えが及ばないから」と気がついたという感じです。

 で、それに加えて「明るい雰囲気で、子供向け番組なんだから、明るい話」となるようなのですが。

 

 自分の価値観だと「子供に対して人生を本気で考えた大人が作っているのだから、単に明るいだけの話なわけがない」となり。

 さらに「そもそも初代の仮面ライダーだって悪の組織に改造されているし、ウルトラシリーズにも昔からハードな話があるし。アニメなら「アンパンマンのマーチ」とか相当重い歌詞なんだから、子供向けだから明るいというのはどうなのか?となるのですが。

 

 それは「重い話」という事実を知った上での意見であって。

 そうではない人にはまず「重い話なんです」というのを理由も含めて説明しないとならないという……まあ、そんな感じです。

 

 それと「理想を追う人を止めた方がいいか」とか「考える人と考えない人はどっちがいいか」*5について考えていたのですが。

 

 これ理想に関しては。

 理想を追う人は「追えば辛いから止めろ」といっても追ってしまうし、逆に辛いことを理由にやめる人は、言わなくても近いうちにやめるだろう。

 ただ、考えなしに理想を追って、取り返しにつかない状態になる人がいるかもしれないから、言うだけ言う必要性はある

 しかし逆に追ってしまう人に〈辛いからやめろ〉以外の理不尽な理由(例えば「親として認めない」など)を言ってやめさせてしまうと、追えなかったことで辛くなるから、そこは選ばせる方がいい。

 

 考える人と考えない人に関しては。

 考える人は「考えるな」と言われても「何故考えない方がいいのかを考えてしまう

 逆に考えない人は「考えろ」と言われても「何故考えないとならないのかを考えない

 だから、言葉だけでこれを説得するのはそう簡単ではない。

 とすると、どちらがいいかといっても、なるようになるしかないのではないか……そもそもどちらがいいかと考える人は、すでに考えるしかない人なのだから。

 

 と考えていました。

 また似たような問題で。

 

 大人とはいえ自分はまだまだ未熟として考え続ける人は若者に自分の意見を言っていいか悩み、躊躇う。

 だが、俺は正しいとして考えを放棄した大人は若者に意見を押し付ける。

 すると考えない大人の方が若者に意見を言う人の数が増えてしまう……とかも考えていたのですが。

 

 あと最後に。

 前回も書いたのですが。この世の文化芸術や娯楽などについて。珈琲を〈世界〉、砂糖とミルクを〈文化芸術や娯楽など〉とした場合。

美味しい珈琲を引き立てるのに砂糖とミルクは必要と。

不味い珈琲を飲む干すのに砂糖とミルクは必要二つの価値観があり。

 

 例えば同じ芸術好きでも、前者と後者では意味が違うと思いました。ちなみに、僕はもう10年以上後者です。

 ただ、珈琲の例からしたら「珈琲に砂糖ミルクは不要」*6とか「砂糖ミルクだけ必要」もありそうですが。

 

 なかなか「現実は素晴らしいから文化芸術・娯楽など不要」派は少なく。

 現実的に世界ない状態で、芸術だけ存在とかは今のところ不可能(私もそれができたらいいですが)。 

 

 もちろん、一度入れた不味い珈琲を、何も加えず美味しい珈琲に変える方法があればいいですが。

 なければ、飲み干すか捨てるかで。結局世界を滅ぼすというような発想になるという……。

 

 昨日考えたことはこんな感じですねぇ……。

 これに加えて9月21日分のブログを書いたりしていたので……ちょっと疲れました。

 体調も悪いので、休みたいかな……とも思っています。

 

 正直、この頃カテゴリーでいう〈雑記〉のが増えた気がしますが。

 そもそもこのブログタイトルが〈麦粒雑記〉なのでむしろそれが本来の形だったのでは……なんて、思っています。

*1:国によって表現法が違うらしいです。日本における尊厳死はアメリカだと自然死扱いで、尊厳死という言葉を英訳すると日本の安楽死的になる……とか、調べたら出てきました

*2:これだと巻き沿いを食らう人も含め、全員同じ苦しみなので〈毒薬カプセルをみんな飲む、無痛で死ぬものと、激痛で死ぬものが混じっているがどれがどれで、いくつずつあるかわからない。当然、全部無痛あるいは全部激痛もある……の方がより自分の考えに近いのかもしれません

*3:個人的に「誰かが犠牲になるのは仕方がない」系の意見は「あなたやあなたの知り合いが犠牲になっても〈仕方がない〉で済ませるならば言っていいけど〈俺には関係ない〉という意味なら無責任ではないか?」と思っています。また「大事な人のためならば自分を犠牲に」に関しては「犠牲になられた方は生涯そのことを悩むと思うが。それはいいのか?」とも訊きたいです

*4:HUNTER×HUNTER』のハンター試験会場まで行くときにそんなテーマの回があった気がします。『HUNTER×HUNTER』、最近読んでいないですが

*5:実のところ、先に挙げた4冊のうちの一冊のタイトルが『考える人とおめでたい人はどちらが幸せか』だったのですが

*6:入れる時もありますが、僕も大体ブラック無糖で飲みます……この話題をすると〈ブラック武藤〉というレスラーみたいな名前が浮かぶのですが、今予測変換で〈BLACK武藤〉と出たという……